香港が中国に返還されたときに、50年は香港の行政を今まで道理にするという約束だった。
ところが普通選挙をするのに、誰でも立候補できるわけでなく、
立候補者に制限をつけたことに学生が抵抗してる。
彼らは中国人といわず香港人という。
世界ではイスラム国が樹立され、スンニー派の人々がイラク人でいられなくなった。
それはシイーア派が政治を牛耳ってるからイラク国民いられなくなった。
イングランドでも1707年に併合されたスコットランドの独立を叫び投票が行われたが、
残念ながら反対票がすこし勝って実現しなかった。
第二次世界大戦後に創った国家と国民という枠組みが機能しなくなった表れだろう。
情報とお金がグローバルに全世界を駆け巡る経済活動に、統治機構がついていけていないのだ。
今後われわれが紳士に考えなければならないのは、
政治的には自由と民主主義だけで突っ走って幸福になるかという問と、
経済的に規制緩和と自由貿易の秩序が幸福をもたらすかという問いだ。
正解はきっと歴史が後に証明する。
でも、今生きるものは、どう対処し生きぬくかを判断し、決断し実行する。
何もしないで高みの見物と決め込むのも一つの生き方だ。
しかし、事実の中で未来を切り開いていく思うものにとっては、
先行きが気になる。
気にしても自分の力ではどうにもならないところもある。
一方、どうにかなるところは努力がいる。
それは自分を高めること以外ない。
心を高め、社会を見抜く眼を養うことだ。
自分を磨くことに尽きる。
個々人が自分で考え、自分で判断し、自己実現を望む社会になってきてる現代。
若者は体験がないのに自己実現を性急に求め過ぎ挫折感を味わうが、
食べていければいいと考えれば、どんな勤め方でも生きれる。
このような中途半端な環境の日本では、中国のような成長への貪欲なエネルギーが沸かない。
格差がない社会にはエネルギーが弱まるというのは経営コンサルタントの宗 文洲さんだ。
彼は意見は大胆だ。
土地取引や投資の規制をなくし外国資本を入れるべきだといい、
さらに格差を創るためには外国人労働者を入れるべきだという。
でも、こんな考えは今の日本では実現しないという。
戦後積み上げた資産があるから余裕があってしないともいうのだ。
中国の発展は格差があるからだと堂々と語る。
格差はエネルギーというのだ。
政治的に考えるなら社会環境を創ること(政策)で解決することはわかるが、
社会は人間が作っている事実から見れば、社会環境と自己形成は両輪の輪だ。
政策も大事だが自己形成も同時に行える機会がある社会が、
今求められてる社会のような気がする。
皆さん自己形成は個人の勝手でしょうか?