論語を読むと「仁」を体得した人についていろいろ書いてある。
「仁」とは思いやり、愛情を持って人に接する人のことだ。
別の言葉では「恕」とも言っている。
雍也第六に、
「仁を問う。曰わく、仁者は難(かた)きを先にし獲ることを後にす。」
意味=仁者は苦労を先にして利得を後にする。
「子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ仁者は壽(いのちながし)」
意味=知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は活動的であり、仁者は静寂である。
知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に安住する。
もっといろいろな側面から「仁」を体得した人の態度が書いてある。
さて、、子路第十三に、樊遲〔はんち)と言う少しにぶい弟子がいる。
彼の質問に答えて孔子は親切丁寧に、仁を体得した人の日常の生活の態度を答える
場面がある。
「樊遲(はんち)仁を問う。子曰わく、居る處(ところ)恭(きょう)、
事を執(と)りて敬、人と興(まじわ)りて忠なるは、
夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖(いえど)も棄(す)つべからざるなり。」
意味=馬鹿正直な樊遲が仁とは何か尋ねた。
孔子先生は日常生活の態度について、
家に居るときもだらけた風をしない。
仕事をするときは身を引き締めて人を敬う。
人とは真心を持って交わる。
たとえ未開の地に行ってもおろそかにしてはならない。
家にいる時も身だしなみをちゃんとして、家族といえどもだらしない態度で接しない。
もちろんパジャマ姿でうろうろしない。
イエローハットの鍵山さんは寝る前にパジャマを着ないそうですね。
ワイシャツとズボンで家族と接するそうです。
文明が進んだところでのマナーでなく、
未開の地でも崩さない態度だと言うのは『お天とさんが見てござる』と、
天と向き合って生きるのが仁者のようだ。
我々凡人は人と人が向き合って小賢しい知恵を働かせ、
苦楽、善悪の中で有露有露生きてるのが現実だ。
孔子が魯の国の太夫を辞職し遊学の旅してるときには3000人の弟子が居たとされる。
今で言えば孔子塾は政治に取り立ててもらう就活の集団であったに違いない。
リーダーとして知行合一していたからこそ尊敬もされ学びも深くひろくなっていったと
察せられる。
孔子の真似するだけでも程遠い自分が居ることだけは確かだ。
皆さんは知者になりたいですか?仁者になりたいでしょうか?