中江藤樹の学ぶことの意味
自分の仕事や人生において「学ぶ」のは、
仕事や人生の「苦しみ」を根本的に解決し開放され毎日楽しく過ごすことだ。
言いかえると「安心立命」を得ることだ。
中江藤樹は「順境にいても安んじ
逆境にいても安んじ
常に坦蕩々として苦しめるところなし
これを真楽というなり
萬の苦を逃れ
真楽を得るを学問のめあてとす」
自分の今の環境が順境でも逆境でも心には「安心」を置くことが良しである。
若き時は自分の外に「安心」を探す、いくら探してもないことに気づく。
安心は自分が決めて、自分で持つものだ。
決めたらその心の状態を持続させたいのが人情だ。
あえて答えはといえば、藤樹の言うように「学ぶこと」だ。
自分にとってどんな事実でも「100%」受け入れ、
それを解決すべく心を落ち着かせ「安心」を真ん中に据え、
事実をジュックリ観察し考え、対処の行動をすることだ。
目の前の事実から決して逃げない自分でいることが人物になる学びだ。
人間は回りの環境に左右され易いが、
順境の時、ついつい慢心になり傲慢になる心を謙虚にし「安心」を真ん中に坐らせる。
逆境の時、ついつい状況につられ悲観的に物事をとらえ、変化する諸行無常を忘れ、
不信と不安と未来を閉ざし絶望し未来を閉ざすが、自分を信じ「安心」を真ん中に坐らせる。
順逆の状況に振り回されないで、心平らかにしてユッタリ「安心」を心の真ん中に坐らせる。
これができることを藤樹は「真の楽しみ」と呼んでいる。
未来をあせって、心に「不安」を坐らせたら自分の心が動揺し命が立たなくなる。
立命は「安心」から始まり、おかれた立場で他人に役に立つ行動をやり続けることだ。
やり続ける中で「使命」を自覚し「立命」に飛躍するのである。
「安心立命」はあるものでなく、自分の心に「安心」を据え、
利他行することを持続する中に立命を得るのである。
皆さんは中江藤樹の言葉を如何に感じられますか?