生みの親と育ての親(二宮尊徳パートII)

投稿日:2014年1月15日 更新日:

人間と自然は違う。
二宮尊徳は『魚を食べる時に漁師に感謝する前に海に感謝する』という。
自然は「産む」ことができる。
人間は「育てる」ことができる。
この育てることは『産んでもらった』恩返しだと言うのだ。

「育てる」ことをするには努力がいる。
現実は辛いことも苦しいことも悲しいこともあり、
楽しいこと嬉しい事もある。

二宮尊徳は、人間には喜怒哀楽があるが、その感情を楽しむことだと言うのだ。
どんな人もここから逃げれないのに自分にとっての都合で、
辛いことや苦しみ、悲しみから逃げようとするのはいけないと諭す。

どんなことがあっても諦めず、
一歩ずつ進めてコツコツ努力すると結果は実るというのだ。
一歩出す行動だ。
積少為大と尊徳は言う。

自然は産み出すエネルギーがある。
人間はそのエネルギーを使わしてもらってるに過ぎない。

さらに二宮尊徳は山の中にいる動物は実を食べる。
人間が種(実)を食べたら一人の食物にしかならないが、
種をまいて水をやり肥料を与えて育てたら万人が食べれると考える。

自然は産みの親なのだ。
もちろん種だけでは育たない。
太陽の光と大地の栄養と水がいる。

その自然から人間の智慧を働かして作った道具や機械、
それに自然にはない加工品は自然のものとは違う。

自然は自ら新陳代謝機能を持っているが、
人間が作ったモノはできた時が100%で劣化していく。
だから、手入れがいる。
手入れのことを努力と言うのだ。

人間は自然から生まれたものでエネルギーを貰っているが寿命がある。
手入れという努力をすれば身体も心も良いコンディションを保てる。
特に心のコンディションは無私を学ぶことだ。

人間は産むことはできないが、
自分で自分を育てることはできる。
無私の自分と出会うことを喜びとする人を達人という。
この努力のことは自分で自分を育てることだ。(言うは易し行うは難し)

みなさんは仕事や子供育て楽しんでこられましたか?

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