「渋沢栄一の論語講義」に学ぶ

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渋沢栄一は「論語とそろばん」で日本の銀行制度を創った近代の資本主義の祖である。
彼は論語を人生の師として生きたことによって大きな間違いをしなかったと語っている。
私が本格的に論語を学びだしたのは大きな病気を経た後の60才になろうとしていた。

子罕第九に「子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」
意味=知者は物事の道理をわきまえているので迷わない、仁者は私欲を捨てて天理のままに生きようとするので、心に悩みがない。勇者は意志が強いので何事も恐れない(伊與田覚先生訳)

渋沢栄一さんの講義の解説が実に腑に落ちるので紹介する。
知恵があれば物事の道理がはっきりわかり,その是非や正邪を判断することができるので、何かに対処するのに疑って迷うようなことはない。

仁者の「仁」については、ある場合には「人を愛する情」だとか、「他人の窮地を救う行為が仁」といっている。ところがある場合には「よく天下国家を治め、すべての人々を安心させるのが仁の極致である」と言っている、こうした「仁」を持つことで、仁者は与えられた「天命」を自覚し、一点の私心なく自分の社会における役割分担を果たし、人としての道を実践していく。だから、いささかの悩みや苦しみもなく、すべての物事に対して思い悩むことがない。心の中はいつもすがすがしく、限りなく広がる春の海のような気分である。

また勇者は、その心がとても大きく、剛い。しかも、いつも社会が正しいと認めた道に則り、心に雑念のない平常心であるため、どんなことに邁進しても恐れることはない。

この三つの徳が備わっていたならば、人間として極めて完全な人ということができる。言葉を変えれば、人として典型となれるのだ。我々はこの域に達することはできないまでも。どうにかしてこの三つの徳を備えるように、努力してやまない気構えを持ちたいものである。

およそ人間というものは、「知」や「勇」ばかりではいけない。知恵ある人や勇気ある人はもちろん尊重すべきだが、「知」や「勇」は性格の一部であって、これだけで完全な人とは言えないのだ。「仁」を兼ね備えてこそ、はじめて人間としての価値が生じる。ゆえに「仁」が最上の徳なのだ。

この文章を読んでいると目の前に渋沢さんが袴をはいて立っているように感じるのは私だけだろうか?
この講義は渋沢栄一84歳過ぎの講義録である。
今日の日本を創った一人の先達に学ぶことが未来を生きる人への橋渡しになることを確信する。

皆さんは渋沢栄一に何を感じますか?

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