コロナウイルスが教える発散理性

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「仏道を習うというは自己を習うなり,自己を習うというは、自己をわするるなり。自己をわするるは、万法に証せらるるなり。」正法眼蔵より
意味=仏道を学ぶのは、真実の自分を明らかにすることである。真実の自分を明らかにするとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、自己にとらわれた自己は本来なかったことを覚ることである。自己を完全に忘れると、万法が真実の自己であることつまり、自他の枠組みの執着がなくなったことが明らかになる。

自己を忘れるとは、自分の前にある人やモノ、物事に飛び込む以外に方法はない。仏教では「入我我入」と言って、自分が対象に飛び込んで自分を忘れてしまう状態で人間的な執着を離れた状態だ。

好きな言葉に「自他不二」というのがあるが、全く同じである。
道元が永平寺で坐禅していた時に火事になった、弟子たちはみんな大慌てに座禅堂から逃げて行ったが、道元は微動だにせず坐禅を続けた。「只管打座」と言って坐禅を伝えるのが目的だといって自己に執着しなかった。

自己を忘れるとは、なりきる事である。自分の小賢しい肉体的や精神的な欲を捨てきって、法の世界をひたすら実践してるのである。利己的な行動でなく、利他的行動の極みである。この時には人間的な執着が取れているのである。

恩師小田切瑞穂は理性には二つあるとよく言っていた。自己にとらわれた理性を収斂理性と言って虫眼鏡、もう一つの理性は発散理性と言って電熱器を思えと教えられた。周りに熱を与える利他的行動だというのである。この発散理性こそが「愛」であり、利他行だ。

人類は今までは自己に執着し自己の欲のために自然を思いのままに使ってきたが、自然は疫病としてコロナウイルスを生み出し、人間の自然に対する畏敬を取り戻すことを語ってるのではないだろうか?
発散理性に気づき自然と融合して生きることを望んでいるように感じる。

皆さんはいかが思いますか?

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