三国志の時代を思い起こせば,蜀の国の劉備玄徳の参謀は諸葛亮孔明だ。
彼は軍略は立てるが戦いに先陣を切るわけでもなく、それは関羽や張飛が武人として戦うのだ。
このように帝は戦略は文人に具体的な戦術で戦うのは武人でないと荒くれ者の兵士を抑えれない。
日本の江戸時代には武士が政治を行っていたので、「文武両道」が為政者の理想とされた。
封建社会の政は士農工商という身分に差別があったが、1700年前後の元禄時代は庶民文化が花咲き、商人が経済力を持ってきたのであった。1868年明治となって幕藩体制が終わって、欧米の近代社会へ方向転換していくのである。世界は日本を植民地にしようと狙っている時代背景の元、富国強兵を旗印に国家形成がなされていくのである。
日清・日露戦争に勝利した日本はアジアへ進出していくのである。第一次、第二次世界大戦で負けて、1945年終戦となったのである。戦争で焼け野原になった街を復興し、モノを生産して輸出する国へと変貌していくのである。まさに資本主義の経済を発展させる国へと技術力を高め世界に素晴らしい商品を提供してきた。1980年代にはジャパンイズナンバーワンと言われGDPがアメリカに次ぐ世界第二位の地位まで発展したのである。もちろん世界から日本政府の不買運動や円高容認がなされてバブルが起こり、はじけていったのも事実だ。
さて、「文武才」の時代はこれからである。IT化の遅れを取り返し、IOTやAIを活用し、もっとスマートな社会を目指す方向へ舵を切る時期である。従来の理工科系の技術と同時にIT技術者を養成することが重要だ。
「文」=言語と、貨幣と法によってできた社会的な存在の人間関係の在り方、また自然と人間の関係を解き明かすことが重要だ。一方人間そのものの意識を深く研究し、意識革命を起こすことだ。
「武」=一般には武力を持つことで、他者を威嚇する武器を持つことだが、戦後平和憲法で戦わないで防衛のみとすることを憲法に明記したので放棄したから持たないのである。むしろ外面的な面でなく、自分という内面的な「武」をしたたかに気づくことが大事だ。禅語に「随所に主なれば至る所真なり」という言葉のように、自主・自立・自覚の独立自尊の心構えという「武」「を創ってきたのである。
「才」=始末・才覚・算用という商人の心構えだ。封建社会では地番身分の低い存在であったが、近代化とは経済的な豊かさを求める時代でもあった。しかし、突き詰めていくと経済も社会全体が潤わなければならないのも事実で、必然的に公益の利他行へと進んでいくのである。日本の近江商人の三方よし(売りてよし・買い手よし・世間よし)である。商いは基本は「信用」だ。殺し合いでもなく、だましあいの世界ではない。買い手と売り手が納得いくことと信用が成り立つことで決まる。
情報化社会でのITとは情報技術である。この技術を使うことでより効率よく効果のある働きができ、よりよき人間関係構築できることも事実だが、それを使う人の良識が問われることも反面出てくる。
皆さんは文武才参道の時代いかに思われますか?