「誰にも負けない努力」の意味が腑に落ちた

投稿日:2020年4月21日 更新日:

無我夢中になることを体験したことは誰でもある。でも、それをやり続けた人は少ない。途中で飽きるからだ。蜂が蜜を求め、花から花へと移っていく衝動が人間にも組み込まれている。若い時は何を見ても興味がわいて夢中になるが、続けられなかったし、続ける意味と価値を持てなかった。三人で始めた会社が43期目を迎えている。

小学校の高学年の時、近所の一年先輩が新聞配達していたのでやりたいと言って始めたのがアルバイトの最初だった。両親が共働きしていたのでお母さんを助けたいという気持ちが少しあった決断だった。もちろん自分から進んでやったので楽しかったし、毎日50円もらって神戸屋のクリーム入りのパンを食べるのが贅沢だった。もう一つの意味は勉強をしなくてもいいという面もあった。

さて、会社を始めるのは夢があったからだ。三人で始めたうちの一人は奥さんも子供もいたので、毎月決まったお金を払わなければならないという責任は私にある。しかし、毎月決まって商品が売れる保証はない。とにかく夢ばかり語って、仲間に甘えていた依頼心の強い私がいることは確かだった。仕事をすることは苦ではないが、みんなの生活を守っていくという責任からは逃げたいと考えていたし、仕事の夢を求めて行動したのは良かったが意味と価値が腹に座ってない自分がいる。何か困難があれば責任から逃げたいと心が折れそうになるが、仲間の顔を見たらかっこ悪いし、逃げられないと覚悟せざるを得なかった。

バッハは世界一の名人に聞いてもらいたいと毎日練習を欠かさなかったそうだ。創業当時の私はどちらかというとそんな前向きな姿勢でなく、努力をやめようとするわがままな自分に負けていたのが本当のところだ。それには仕事の意味と価値をしっかり腑に落とさなければ努力を継続してできない。その後十数年たって、この仕事を通じてお客さんが人間関係のきずなを固くし、幸福創造できる碑を日本中に、世界に建立するお手伝いだと言い聞かせるようになった。同時に会社の理念を仲間ととも幸福を創る「幸福創造カンパニー」としたのである。

盛和塾に入って稲盛和夫さんの薫陶を受け「誰にも負けない努力」を何度となく聞いていた。20年前の時は普通の人の三倍働くことだと思って朝から晩まで働くことしかできなかった。その後数年して仕事の量でなく質を高めることだとセミナーにいったり、本を読んで情報を集めた。ところがそれも違うと気が付いた。それは自分の心、わがままで好き勝手な自分と闘って克つことなくして自主的努力の習慣はつかないのである事が解った。決して他人と闘ったり,他社と競争することではない。「習慣は第二の天性」と言ってもともと生まれたままの自分ではなく、創り上げていくのである。

目に見えないところで自分の好き勝手な欲望を自制し、志に向かって行動をすることで、それを習慣化させることだ。この気づきが新しい自分つくりの第一歩となる事だけは間違いない。誰にも負けない努力の習慣を身につけたいものだ。

皆さんは誰にも負けない努力どうして創られましたか?

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