「生物学的幸福感」について

投稿日:2020年6月26日 更新日:

時間があれば本屋さんに行くことにしている。読みはしないが今どんな本が出されているのかを眺めることで、
時流が解るというか、想像するのを楽しむ。それをヒントに自分の仕事の展開を想像する。

先日も書いたが、仏教的には三界といって欲界(性欲、食欲、睡眠欲、財欲、名誉欲)、色界(音楽、絵画、文学といった芸術的なことを極める)
無色界(現実的に目に見える技術的なことでなく哲学や思考といった目に見えないものを探求する)私はどちらかというと無色界を深めるのが楽しい。

この日出会った本はノーベル賞をもらった 本庶 佑 (ほんじょたすく)の「幸福感に関する生物学的随想」があった。
それによると快感と不快感を生物として感じるのをどうコントロールするかであるようだ。基本的な快感は仏教の三界にあるように、
肉体的な快感だ。一番は性欲を満たす(自己複製コピーを創る)二番は食欲を満たす(自立性を持つ、食べれるのに不自由ない)三番は競争に克つ(適応性がある)
さて、東大名誉教授の吉田民人先生は、1、楽しむ 2、成し遂げる 3、自己を律する(喜びは自己との競争に克つ達成すること)4、人を愛し愛される(不安感の解消)
上記に書かれた1,2,3 はあくまで快感の方である。一方生命学から言うと不快を感じるのをどう防御するかである。
先生によれば情動本能中枢では危険を感じ恐怖心がわく、その指令が言って体験による学習をプラスして行動に転嫁する統御中枢で最終決定をされるという仕組みだ。

だから、歎異抄ではないが「悪人なおもて往生する」と悪いことばかりしてきた人は危機管理で恐怖感を感じるセンサーが働くが体験によって、この怖さを自分で低く見積もることができる。
言い換えると「開き直る」命まで取られないことが解っているんですね。競争に勝つというのも、ある意味で苦難を乗り越えてきたのだが、努力を重ねることで苦痛を低く見積もれるのである。

人生において難行苦行の体験は大脳中枢の統御の働きで情動中枢を低くコントロールできて心の安定が得れる。「命まで取られない」と自分に言い聞かすのである。
これが不快を低くすることで、快感を達成するだけでなく心の平静をも獲得できるのである。

幸福は快感を求めるのだが、人間はもっともっと高い快感を求めるようになる。そこで具体的にはルソーが実際に行ったとして紹介されていたのは、
砂糖を最初は少なく水に溶き、日に日に量を増し甘くする。しかし、ある日から、最初に戻って薄い砂糖水にする。人間の感覚はそれに慣れ、少しづつ足していくと甘さが実によくなる。
これを繰り返したそうだ。人間は愚かなもので「今の生活」も当たり前になり、感謝がなくなり、もっともっとと求めるようになる。向上心といえばきれいだが、貪欲なのが人間の本能だ。

人間は快不快を自分でコントロールできるようになれば生物学的な幸福が得られるということになる。

皆さんは幸福になるために快感をコントロールされてますか?

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