「学問ノススメ」に学ぶ

投稿日:2020年7月26日 更新日:

江戸時代に寺子屋などで教えられていた「実語教」という本の中に、
「人学ばざれば智なし、智なきものは愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるによって出来るものなり。
要するに学ばなければ愚人だと説いているのである。これは当時の道徳の教科書である。

諭吉(1835~1901年)は幕末から近代国家建設の過程に登場する人物である。
大分の中津の下級武士の子で、大阪の緒方洪庵の適塾で蘭学を学び24歳でアメリカに、27歳でヨーロッパ使節団に加わった。
特にアメリカ独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンを尊敬していた。彼は科学者であり、新聞記者、学会、大学創設といった偉業をなしている人であったことからも、後に慶應義塾を創設したものが現代の慶應義塾大学になっている。

さて、民主主義が何たるかわからないときに欧米の「自由」を貴ぶ精神に心寄せ、江戸時代には身分によってがんじがらめにされ、修身を重んじる気風だけだった。
諭吉は近代国家の学問は単なる教養としての学問でなく、
実学を学び国家を自立した国にするためにも地理学や物理学、歴史、経済学、修身学の全般を学ばなければ、欧米列強の植民地にされるという危機感があったに違いない。
国家の独立というのは言い換えると国民一人一人が自主的で、自立した国民でなければならないということだ。

「愚民の上に苛き(からき)政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今、わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。」
と喝破するのは自由民権運動も始まっていない時期だった。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり。」というのは誰もが知る有名な言葉だ。
しかし現実は「広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。」
人間は生まれながら貴賤上下の差別がないはずなのにと嘆くのである。

現代のように文科系とか理科系というように分けて学ぶのでなく、自然科学、社会科学、人文科学のすべてを学ぶ。
世界に誇る良き国家は、あらゆることを学ぶ良き国民によってつくられるという自力本願の立場である。
現代の教育は分化が進み、技術的な面が強調され良き国民としての品格ある学びとして、物理、天文、科学、社会経済、文学、脳科学、心理学といったあらゆるジャンルを身につけ良き国民たることを願っていた。
そして、新しくワクワクする社会を創造し、発展、進化し世界の誇る国つくりは人つくりからと考えていたのであろう。

皆さんは良き国民となる学びどう考えられますか?

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