ブロックチェーンによる仮想通貨が考えられるようになったのはネットが普及して、
誰もがどこでもいつでも情報の受発信ができる道具ができたことだ。
また同時にメルカリのように消費者が供給者になり市場を創る時代でもあり、
国家という統御とか日本銀行というリアルな貨幣の統御が不必要な世界が産声をあげている。
P2P(ピア・トゥ・ピア)と言われる。
1.Person to Person (個人と個人のコミュニュケーションの時代)
2.Peer to Peer (同等ものが同等のものへ、言い換えると供給者にも消費者にもなる)
資本主義社会では富は商品の蓄積と貨幣で評価されるから、日本銀行がいて、大企業が中心のヒエラルキーができる。
ところが情報化社会ではネット上に数百万冊の本を取り揃えるAmazonという本屋さんがリアルな紀伊国屋とか旭屋という書店を凌駕する。
これが意味することは、トヨタの様な組み立て工場を作って、すべてのサプライチェーンを統御されることがなくなっていくということでもある。
バーチャルな世界のプラットフォームを創り、消費者へあらゆる情報提供をして買い物のお手伝いをする立場を創る。
情報の日本銀行がネット上のプラットフォームなのである。GoogleもFacebookもしかりだ。
この現状に我々はどう対応するかを考えた時、まさに人間が人間を真摯に見つめ直す時代が来ているとも言える。
従来型の資本主義では富をたくさん蓄積している人(お金持ち)がトヨタのように組み立て工場を造って、自分の関所を通るようなチェーンを創り、そして統御する。
言い換えると人間としての人格が阻害された状態と言ってもいい。
一方P2Pの世界は人間中心の世界が到来するが、もう一面では逆の情報統御が始まる。
AmazonやGoogleのプラットフォームで検索を自由に操り、好きな情報しか流さない仕掛けを作る危険性がある。すなわちAmazon砦の住人になるということだ。
その方向は論語の「仁」を磨いて徳を創り、「礼」によって行動を生み出していくことだと言うのは経済学者の安冨歩(やすとみ あゆみ)さんだ。
実に素晴らしいと発想だと感服した。
孔子は国家の君主論として「仁」を説いているのではないというのである。
君子とは大人ということで小人は普通の凡人という意味にとれば分かる事だ。
孔子が放浪の旅をして歩いている時に皮肉として言ったのかは分からないが、「なぜあなたは政を実際にしないで政を解いているのか」という質問に答えたのが次の文章である。
「論語:為政第二」より、「或るひと、孔子に謂いて曰く、子なんぞ政を為さざる。子曰わく、書に云う、孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施すと。是れ亦政を為すなり。なんぞ其れ政を為すことを為さん。」
意味は次のとおりである。「ある人が孔子に『先生はどうして直接政に携わらないのですか?』と聞くと、先生が書経に『親には孝行を尽くし、兄弟仲良くすれば、それが自ら政治を為すことである』言われた。」
「家庭生活を良くするのもまた政治だ。どうして強いて政治に携わる必要がある。」というのである。
中国の春秋戦国時代に統一したのは秦だ。秦の始皇帝は法家の教えに従って、法律と規則によって文字を操作する役人に合理的で厳格な統治を行い十数年で崩壊し、三国時代を勝ち抜いた劉邦が漢を築き、孔子の儒教を柱にして「法三章」と言って法を細かくは作らず、人間の徳性に注目し統治した。自分自身の身の回りの統治こそ重要だと考えてのことだ。
いま日本が置かれているのは、一個人の人間が感性と理性の統合を目指し「人格統合」をし、リアルの良さとバーチャルの良さを統合した世界観を身につけることであろう。
仏教では「物心一如(ぶっしんいちにょ)」と諭していることを、行動で示す時代が来たということである。
皆さんは人間中心の時代をどう思われますか?