秋山眞之(あきやまさねゆき)の地をたずね

投稿日:2012年1月11日 更新日:

昨年の師走に秋山兄弟の生誕地を訪れ、
眞之と無二の親友の正岡子規の子規堂を尋ねる機会を得た。

時代背景は違うので戦争論ではなく、人物論として尊敬する人物だ。
小さい時大変な暴れ者で母・貞に短刀を突きつけられ、
『お母さんも死ぬからお前も之でお死に』と諌められることがあったそうだ。

その反面は人に優しく、家族や親族を大切にし、海軍では部下も大切にした。
もちろん35年の生涯で7年も病床だった子規を何度も見舞っている。

眞之は合理的科学思考であったが、国の将来を憂えることを常に考えていたと、
兄、好古に葬儀で語らせたぐらい国家の将来を考えていた。

日露戦争にコサック騎兵隊を破ったのは好古が組織した日本の騎兵隊だったし、
バルチック艦隊を撃沈したのは眞之だ。

彼のアメリカ留学中のメモには、
1)細心集慮は計画の要能にして、虚心平気は実施の原力なり。
2)事の成敗は天にありといえども、人事を尽くさずしての天、天と言うことなかれ。

戦争を肯定するつもりはないが、一心に身を捨てる生き様は武士道の精神だと感服する。
開戦の電文「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は眞之の文だ。

子規の句で思い出すのは「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」
そして彼の「病床六尺」の本からは、
「余は今迄禅宗の所謂、悟りといふ事を誤解していた。
 悟りということは、いかなる場合にも平気で死ぬことかと思っていたのに間違ひで、
 悟りということは、いかなる場合にも平気で生きて居ることであった。」
七年も病床にいて彼が必死に病魔と闘い、心では平気で生きる。
之こそ自力本願だ。
子規の「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」という句が達観してなお平気に生きる強さを感じる。
子規のド真剣な生きる姿に感動すると共に眞之のド真剣な国を憂うる気持ちは共通する。
現代の環境に甘んじ危機感なくふらふら生きていたら感じ取れない心境だと反省だ。

みなさんはこの親友のことどう感じますか?

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