父の祥月命日に思う。

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父の祥月命日に思う。
毎月20日は父親の祥月命日だ。
浄土真宗西本願寺の西願寺若住職がお参りに来てくれるので、
ケアハウスに入所してる認知症の母に替わって、家内と兄嫁三人で仏壇のお参りする。

二、三日の前後には母にも報告するのだが、
「お布施頼むよ」と気遣って必ず言うのが口癖だ。
先日ある宗教家の方が国際宗教学会に行ったときの話をしてくださった。
たまたま隣あったイスラム教の方が話しかけてこういったそうだ。

『仏教は釈迦という人間の話、イスラムはマホメットが神から啓示を受けた話で一番正しい』
宗教は自分が真っ直ぐ幸せに歩いている時には必要なく、
自分が迷ったり、悩んだり心が平静でない時に必要となる。

私はだからこそ、仏教のもってる人間釈迦を等身大に感じられることが心地よい。
〔身近に感じれるという意味で不遜な気持ちはない〕
仕事や人生に悩み、迷ったときの道しるべにしている。

二月の十五日は御釈迦さんの命日で八十一歳でなくなられた。
御釈迦さんが語られたのを弟子が書いたものを『経』といって五つ有る。

その最後の経が『涅槃経』だ。
この中にはみなさんが聞かれただろう言葉が一杯書かれているので紹介する。

御釈迦さんも人間だと優しさを感じれるのが次の箇所だ。
〔涅槃経の訳本から抜粋〕
『阿難よ。私はもう老い朽ち、年を重ね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。
 わが齢は八十になった。たとえば古ぼけた牛車が革紐の助けによって,やっと動いていく
 ように、おそらく如来の身体も革紐の助けによってもっているのだ。
 チュンダの供養、私が悟りを開いたときに、スジャータという少女が供養した。
 今滅度に望んでチュンダが供養してくれた。
 この功徳はまさに等しいもので大きい。永久に福を得るであろう。心いためることはない。』

御釈迦さんはチュンダの差し出した食べ物〔毒キノコ?〕に当たって死ぬんですが、
チュンダは悪くないと気遣かっている言葉なんですね。〔実に人間らしい優しさですよ〕

『弟子たちよ、自ら灯火〔ディーパ〕として、自らをよりどころとせよ。
 他人を頼りとしてはならない。この法を拠りどころにせよ。
 他をよりどころとしてはならない。
 教えの要は心を修めることのある。
 だから欲を抑えて己に克つことに努めなければならない。
 身をただし、心をただし、言葉をまことあるものにしなければならない。
 貪ることはやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。』

実に当たり前のことである。
「知ってるか、知らないか」でなく、「できるか、できないか」だけだ。

「出来るか出来ないか」で、中国の白楽天の話を思い出したので書く。

白楽天が木の上に登って座ってる坊さんを見かけ『危ないぞ降りろ』といったら、
坊さんが『危ないのはお前のほうだ』と切り返してくる。
白楽天は『そんな事言われなくとも三歳の子でも知ってる』と言い返したら、
坊さんが『三歳の子でも知ってるが八十歳の老人でも出来ない』と喝破した。
白楽天も参った、参っただ。

知ってても何の役にも立ちません。
出来ることが役に立つことである。

更に涅槃経には書かれてる。
『弟子たちよ、勤め励むならば、事として難しくない。
 わずかな水も常に流れていれば、よく石を穿つようなものである。
 このゆえに汝らは、常に励むがよい。』

世の中に役立つことをやりきり、
コツコツ誰にも負けない努力をすることだと結ばれる。

祥月命日の供養をするという「しきたり」があってこその縁だと思った。

是を「仏縁」といって、先人がわれわれに伝える中味であり形式を残した。
コツコツたゆまなく、人生を生きる努力することを誓ったお参りになった。

みなさんは両親の命日どんなこと思いますか?

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