法句経に学ぶ
法句経とは「ダンマパダ」と呼ぶ原始仏教の経典で、
御釈迦さんの会話形式になっているものだ。
昔、近所のおばあちゃんに諭されたような当たり前の言葉が書いてある。
八万余巻あるという経典を持つ仏教は哲学的に深いが、
御釈迦さんの当時は具体的で解りやすかったようだ。
25章の「友」
1)明らかな智慧ある人が友達として付き合ってはならないのは、
信仰なく、物惜しみして、二枚舌を使い、他人の破壊を喜ぶ人々である。
悪人達と交わるのは悪いことである。
2)明らかな智慧のある人が友として付き合うべき人々は、信仰心があり、気持ちがよい、
素行のよい、学識ゆたかな人々である。特に立派な人々と交わるのは善いことである。
11)どのような友をつくろうとも、どのような人とつきあおうとも、
やがて人はその友のようになる。
人とともに付き合うというのは、そのようなことなのである。
21)〔友となって〕同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれてる。
同情してくれる愚者は、〔悪いことを教えて〕人を地獄に引きずりおろす。
22)もしも愚者が「われは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかも自分は賢者だと思うものこそ、「愚者」と呼ばれる。
25)よく気をつけていて、明らかな智慧あり、徳行をたもち、学ぶところ多く、
しっかりしていて、敏捷な人に親しめよ。・・・・・・諸の星が月にしたがうように。
御釈迦さんに、確かアナンだったと思うが「友は大事ですか?」と質問したら、
即座に「友がすべて」と語られたと書物で読んだ記憶がある。
また、以前テレビの番組で104歳になる永平寺貫首で、
漕洞宗管長の宮崎奕保禅師が「友」仲間について、
「この年まで修業出来たのは、毎日朝起き参禅する友〔若い修行僧〕がいたからだ。」と語られていた。
老師は続けて「学ぶと言うことは真似すること、一日やったら一日真似る、
二日やったら二日真似る。一生やったらその真似は本物や」
「平気で生きることが悟りや、平気で生きることが難しい」
「まだまだ学びたらん」と締めくくられた。
みなさんは友がすべてということ実感として受け止められてますか?