吉田神社で結婚式
4月8日に長女が結婚したのが京都の吉田神社だ。
新郎は藤澤という姓で、藤原家と縁があるに違いないと思い調べると、
藤原の守護神を祀る三つの神社があり、
吉田神社、奈良春日大社、京都西山大原野神社であるのにはビックリした。
それとともに、日本の三大随筆集の「徒然草」の吉田兼好の父上が神官をしていた神社であった。
そんな縁で「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかいて、こころにうつりゆく・・・・・」を読んだ。
243段に書き綴られた文章は自然観や人生観、時代の逸話、芸術などがちりばめられてる。
吉田兼好〔1183から1352年〕は鎌倉の武家時代の没落や、
鎌倉、関東、富士山の噴火の三つの地震が起こり、疫病も流行した時代だ。
一方では鎌倉の新仏教として、法然、親鸞の浄土宗、浄土真宗、
それに道元や臨済といった禅宗、日蓮などきら星のように輩出した時代の転換期だった。
室町期に日本文化として花咲く、茶道や、華道、といった作法の文化の基本となった、
「侘び」「寂び」の美学がここに伺える。
悪く言えば型の文化で考えない人間と受け取られるが、
作法を通してその奥にある惻隠の情、
相手の気持ちを察し気遣う奥ゆかしいおもてなしの文化でもある。
仏教的な無常観を述べてるのは第49段、第59段、第137段に見られる。
1313年に第一部が出され〔兼好さん30歳〕で、二部が出されたのは53歳〔1336年〕、
鎌倉幕府滅亡していった栄枯盛衰を目の当たりにした激動の時代でこその無常観だ。
第二部に書かれた第241段は、幕府が滅亡する現実に直面し、
「まず人々は何事よりも先に、この死の一大事を心にとめておかなければならない。」
と実に仏教の生死の問題を真正面からとらえ、
「死」から考え如何に生きるか?
またある箇所では道元の有名な「修証一等」と言う表現でリアリズムを語り、
現実を生き抜くのは喜怒哀楽を離れず「迷悟一如」の覚悟がいると、自分に言い聞かすように書く。
単に虚無的な傍観者の文章でなく、読み手にどう生きるか突き詰めてくる。
1〕利己主義=本能が主人。
2〕個人主義=自分の価値観〔妄想といってる)が主人。
3〕利他主義=天〔自然の法則)が主人だ。
宇宙を主人に自然を敬い感謝する姿勢の中に安心立命があると語りかけてくる。
皆さん徒然草、如何が読まれますか?