時間について

投稿日:2012年5月22日 更新日:

時間について
時間の感じ方は若いときと老いたときは違う。
小学校四年生のときに作文を書かされた。
題は「今日」だった。

先生の期待は、今日は何とかの日で待ちどうしいとか、
今日の授業の好きな科目をがんばるとか、
授業が終わったらドッチボールで友達と遊ぶことを楽しみにするとか、
という具体的なことや希望を書く事だったろうと今、察する。

ところが私の書いた作文は一行、
「昨日と同じ今日だ。朝起きて顔洗い、学校に来て勉強し、終わったら帰る。」
好奇心がなく、子供らしい溌剌さがない表現だ。

書くことを知らない事もあったが実に文章化できない子供であった。
だが、みんなを笑わせたり、おどけたりするのは好きだったので人気者ではあった。
笑ったり泣いたりする人間に興味があって、学問にはあまり興味がなかった。

また、思春期〔20歳前後〕には好きで熱中してると時間の流れを忘れ一瞬に感じ、
興味のないことは時間が長く感じたものだ。

還暦を越す年齢になると肉体の感度が鈍くなり、時間が早く感じるのは事実だ。

さて、経済用語的に「時は金なり」と昭和の40年代にはよく言われた。
私はあまり好きな言葉でなかった。
もっと違う「時間」の感じ方があると思っていたからだ。
サミュエル・スマイルは、
「時間とは消滅するものなり、かくしてその罪は我にあり」

エクセター大聖堂ジャクソン司教は、
「世俗の富なら過去に放蕩なかぎりを尽くしても、将来倹約して励めば、
 それで釣り合いが取れるかもしれない。だが、今日、浪費した時間は、
 明日の時間を借りて埋め合せしようなどと誰が出来ようか?」

日野原重明先生は、
「命があるうちにしか「時間」を自由に使えない」
命とは時間なんだ。

仏教の阿弥陀仏〔アミターパ〕は無量の時間〔寿〕と無量の光と言う意味だ。

禅では「今・ここ・自己」この一瞬にすべてがある。
中江藤樹先生は「当下一念」とおっしゃっている。

一瞬にど真剣になることが命を使わしてもらうことだ。

みなさんは時間についてどんな意味や思いをもっておられますか?

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