老子第八章〔易性〕加島祥造さん訳

投稿日:2012年6月23日 更新日:

老子第八章〔易性〕加島祥造さん訳
上善如水 水善利萬物 而不争。
居衆人之所悪。
故幾於道散・・・・・・
上善如水=上善水の如しと言うお酒がある。水に近いのがほんとの酒だというのだ。
私の好んで飲む酒でもある。
私の若いころは、老子のように自然のまにまに生きることを良しとするのは、
年寄りじみて、これからいろんなこと学び、なにか大きなことなしあげたいと願う、
血気盛んなときには受け入れられなかった。

もっと天然自然の法則に則ったほうが早くことが成就する事に思いが至ってきた。
そうし読み返すと実に納得するようになってきた。

さて原文は読み辛いと考え役文だけを記載する。

「水のように」

タオの在り方に一番近いのは
天と地であり、
タオの働きに一番近いのは
水の働きなんだ。
タオの人がすばらしいのは
水のようなところにある。
水ってのは
すべてのものを生かし、養う。
それでいて争わず、威張りもしない。
人の嫌がる低いところへ、先に立って行く。
水はよほどタオの働きに
近いんだ。

タオの人は、自分のいるところを、いつも
善いところと思ってる。
心は、深い淵のように静かだ。
つきあう人はみんな善い人だとし、
自分の言うことは
みんな信じてもらえると考え
社会にいても
タオの働きの善さを見失はない。
タオの人は、手出しをしないで
あらゆる人たちの能力を充分に発揮させるから、
人々は
自分のいちばんいいタイミングで活躍する。

これを一口でまとめると
争うな、ということだ。
水のように、争わなければ、
誰からも非難を受けないじゃないか。

原文は自分で読んでください。
こんな人間になりたいと思うが、奇麗事であると考えるのが一般的だ。
なぜなら世の中には故意にだましたり、嘘つく人がいるからだ。

だから人間関係が難しいと考え、できるだけ人間を鵜呑みに信じないで生きようとする。
もちろん、若いうちは善い人間と悪い人間の見分け方を修得するためには、
いろんな人間と付き合い、損して、人間嫌いになって、悪人にだまされることが大事だ。
この訓練を避けては自分の人生、仕事を想像し創っていくことは出来ない。

苦は楽の種だ。
だから御釈迦さんは「生老病死」一切を皆んな苦と思ったら、
すべての起りくる出来事が自分にとってプラスと考えられ智慧も湧いて解決できると教えたのだ。
わかっちゃいるが、好き嫌い、損得、自分の善悪の価値観が捨てられないのが実情だ。

みなさんは老子好きに成れますか、それとも嫌いですか?

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