王道と覇道について考える

投稿日:2012年7月29日 更新日:

王道と覇道について考える
王道とは孟子が提唱するところの徳をもって治める政治で、
覇道とは武力を持ってする政治だ。

儒教では孔孟といって理想の政治を行い人間に対しては性善説を説かれた。
日本では王道=公明正大に物事を進めるリーダーの人徳で人を信じることを良しとする考えだ。
覇道=武力や金力、権力で支配していくリーダーシップでどちらかと言うと人を隷属化させる考えだ。

国民からすると王道を望むのは当然であろうが、
国民一人一人もリーダーのように自らを磨くメンバーシップがあってこそ成り立つのだ。

ケネディーの有名な演説を思い出す。
『アメリカがあなた方になにが出来ると言うことよりも、
 あなた方がアメリカになにができるか問いたい』

リーダーとメンバーが互いにベクトルを同じくして成り立つのである。
2500万年前、孔子先生は3000人の弟子と共に遊説されたが、
生涯で自分の政治の考えが認められ取り立てられたのは数年だ。
晩年はふるさと魯の国に帰って後継者を育成する事になる。

人間にとってモノを生産し豊かになる事は大事だ。
戦後は貧困のために泥棒をせざるを得なかった事実もある。
豊かな心ある社会にして互いが助け合うことをを旗印に物質の豊かさを求めた筈だ。

しかし現実は『衣食足りて礼節を知る』でなく、
『衣食足りて奪い合いと利己主義を知る』に傾きすぎてるように察する。
生活保護需給の問題などが表面化し国にぶら下がる利己的行動が目立つ。
(真に必要な人には当然国が支援する)

理想をもたないと人間は自分の本能の利己心に犯され、わがまま放題になるのが事実だ。
車にはアクセルという前進する力が備わってるが、暴走して衝突しないようにブレーキもある。
人間にも「理想」と言う志や「良心」他人を思いやる判断基準がありアクセルとブレーキが揃ってこそ、
共存共栄する社会の秩序が保たれるのである。
自らを高め利他行をすることでブレーキが造られると察する。

みなさんは王道と覇道どちらに軸足おかれてますか?

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