自然と放任の違い

投稿日:2015年11月29日 更新日:

自然と放任の違い
馬を躾けるのに『無理、困難、束縛を排する』と言って、
すでに緊張してバランスを崩してることを考えずに、馬に任せるようなことすると、
本来馬が持ってる能力や自然な動きが発揮できなくすることになる。

これこそ『放任』である。

「自然馬術」は今すぐ矯正したり、逆にただ放任したりしてできるのでなく、
また単なる、慣れや、筋肉増強の延長線上にもない。
高次に質的転換された『技』と呼べる動きを『自然』にできるように、
時間をかけて追求するやり方だ。

自然農法で有名な愛媛の福岡正信翁も同じように『自然農法』の先駆者である。
彼は砂漠でも農作物は育つと断言する。

一切の除草剤、防虫剤、化学肥料を使わずに作物を収穫するのだ。

会社も同じだ。
商品やサービスを世のなかに提供することをするのだが、
その前に人材育成が一番の重要度がある。

マニュアルで人を縛ったり、考えない作業員を育てる仕組みではいけない。
毎日仕事して、活き活きわくわくする『自燃性』の人材を育成することだ。

禅の六祖慧能大観は『善も悪も思わないでいる時、その時こそ本来のそなただ』と、
二元論の分別知を離れ、わくわく活き活き命から行動することで、
本能的な利己心の支配から開放され、苦しみ、
迷い悩みからも解放される方法だと教えてる。

知識では解るが、自分の心のスイッチを切り替えできないのも事実だ。

皆さんは放任、自然、どちらの行動してますか?

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