儒教のルネサンスといわれるのは近江聖人の中江藤樹だ。
藤樹は21歳で愛媛の大洲藩の郡奉行(郡の民生全般を司る)として役目を全うしていた。
京都の友人から林羅山(1583~1657年)の長男叔勝の論文に批判して、
朱子学が為政者の都合のいいように扱われてる「理学」であると儒教界の人間復興の旗印をあげた。
その事件は京都の祇園祭の時、儒者管玄同が弟子の安田安昌に刺殺された。
林叔勝は玄同を立派な儒学者といったのを、藤樹は二人とも「人面獣心の俗なり」と否定したのだ。
この根拠は「孟子」からとったといわれている。
さて仔細は後日かく事にして、
藤樹は朱子学の「理学」に対して陽明学の「良知心学」と言う立場を取った。
江戸時代の封建社会の階級社会では考えられない人間として心のあり方であると切り込んだのだ。
学問とは「心のけがれを清め、身のおこないをよくするを本実とする」と言い切る。
人間は自分に内在してる「良知」を引き出す事が重要で、
それを引き出すには何よりも主体的に志を立てることが先決だという。
「良知」にいたることは難しいという人がいるがそれは「志」を持っていないからだと断言する。
「良知」は私利私欲に覆われているから難しいとも言ってる。
仏教的に言うと「利他行」であり菩薩の精神に近い。
藤樹は人間の心には誰でも良知があると絶対的に信頼した言動するのだ。
その逸話として大洲からやって来て医学を学びたいという大野了佐に対して、
懇切丁寧に医学書を紐解き教えるのである。
当然、他の塾生からねたみ心も出てくるのであった。
何度教えても忘れてしまうのが大野だったがその熱心さを塾生に説いた。
藤樹の生活姿勢は「自反慎独」自ら誰も見ていなくても一人のときこそ慎み深く、
自分を反省し、さらに「自反尽己」と己を尽くしきったかをも反省するのである。
見える世界のつじつまがあっていればいいと考えるわれわれとは心構えの深さが違う。
見えない自分の心の中にある「良知」が現実生活で実践できてるかが基準なんだ。
「動機善私心なかりし」と第二電電を作られた稲盛さんの事業観と同じだ。
事業の目的は「利益」を得ることだけではない。
世のため人のために役に立つ事をする事が使命であると、
改めて藤樹からのメッセージを貰った気がする。
皆さんはどんな仕事観・人生観持っておられますか?