自分の幸せ第一番ですか?

投稿日:2016年10月31日 更新日:

人間を分類するのに外見で、男女、アメリカ人と日本人、老若と分けるわけ方と
善と悪のように価値で区別するやり方がある。
経済的に言うと「お金を稼ぐ人」と「お金を使う人」
マルクスは「人間を搾取する者」と「人間に搾取されるもの」と区別して、
私有財産を肯定し競争させる社会を資本主義社会といい、利己心を増幅させると言ってる。
人間が自然の恵みに働きかけ作った商品はみんなの物にする共産主義社会を、
資本の実態を暴く事によってすべて労働が生み出してると結論付けた。

そして、人間はもともと良心があるが、自らの自己革新が必要とも言ってる。
(この件の論文より、当時は社会の革新を一番にし貧困(搾取)から脱出の方が優先的だった)
彼は資本主義と言う仕組みこそが人間の元来持ってる良心を利己心で閉ざしてると考えていた。

16世紀のルネサンスは人間が呪術や神から解放される闘いが成された。
1800年代の中ごろからヨーロッパでは科学的社会主義運動が展開される。
1917年にロシア革命が起こり、封建貴族+資本家と労働者の闘争が世界中に影響を与えた。
1991年レーニン、スターリン、エリティン、ゴルバチョフと続いたソ連は崩壊する。
アメリカの自由を旗印の資本主義とソビエトの東西冷戦時代は幕を下ろすのである。

さて、人間とは利己的な生物である事は間違いない。

2500年前の孔子はここを見抜いていたのである。
論語の雍也第六
「子曰く、中人以上には、以って上を語るべきなり。
中人以下には、以って上を語るべからざるなり。」

意味=中以上の人には高遠な哲理を説いてもいいが、
中以下の人には高遠な哲理を説くべきでない」

孔子はきっちりと理解できる人と物分りの分別ができない人を差別でなく区別してる。
なぜなら、凡人のわれわれは自分の幸せを一番に自己中心的に考えることを解っていたのであろう。
これは何も自分ひとりと言う意味でなく、
自分が世話になった両親や家族、親戚、友人、知人に対しては寄与しようとするが、
全くの他人には寄与しない、自分と関わった範囲で寄与するのは結局自分の幸せためが一番だと言うのだ。

そこで孔子は為政篇で、
「子曰く、之を導くに政を以ってし、之を斉(ととの)えるのに刑を以ってすれば、
民免れて恥無し。之を導くに徳を以ってし、之を斉うるに礼を以ってすれば、
恥有りて且つ格(正)し。」

意味=行政を法制のみによったり、治安に刑罰のみを用いたりするのでは、
民はその法制や刑罰に引っかからなければ何をしても大丈夫として、
そのように振舞ってなんの恥じるところもない。
しかし、その逆に、行政を道徳に基づき、治安に世の中の規範(礼)を第一義とすれば、
心から不善を恥じて正しくなる。

カントも言ってるが、道徳は良心に基づき、法は強制による。
現代の高度に発達した資本主義では共同体で関わる範囲が拡大して道徳や掟では律しきれなく、
法的政治に頼らざるを得ないのも事実だ。

個人の利己主義の抑止が法で強制されるのがほんとに主体的かと考えると、
自分の中にある良識(良心)を目覚めさせる自己改革を経なければならない。

それには自分の幸せが一番出なく、
他人の幸せ、社会の幸せを一番にする利他行と志がいる。

皆さんは自分の幸せが一番ですか?

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