心の動く人であれ

投稿日:2016年1月26日 更新日:

心の動く人であれ
ダーウインの進化論は、
『最も強い者が生き残るのでも、
最も賢い者が生き残るのでもない。
唯一生き残るのは変化できる者である』

変化できる者とは大脳が発達し考えから理性的に行動する人でもなく、
肉体を鍛え上げ筋肉活動ができる人でもない。
物事に敏感に感じ、心の動きすぐ対応できる者である。

心が動くとは悲しいことを悲しいとおもい胸が痛く友と抱き合う。
嬉しいことをうれしいと思い友と分かつ。
喜怒哀楽を敏感に感じ、他人に思いやりの行動できる人だ。
喜怒哀楽に振り回され自暴自棄になる自己中心の人ではない。

若いときは心は敏感に感じるのだが、自意識が強く、具体的な外界に触れ、
喜怒哀楽を感じ本能のまま表現していた。(主観的一方的思い込み)

そこで心を探求するために仏教に触れた。
仏教の『平常心これ道』と自分の心を止めるため理性で制御した。
すると、逆に心は動き出して、じっとしていないのだ。(困った)

感じたまま表現すれば喜怒哀楽が主人となり、
感じた喜怒哀楽を表現しないで理性を主人にしたら心は動き出す。
悩んでしまったあげくに気づいた。

心は外(環境や他人)と内(自分の好き嫌い、損得と成りたい夢)で成り立っているのが事実だから、
この内外を統一するには『世のため人のために役に立つ志』を持つ意外に平常心を得ることはできない。

きれい事を言ってるように感じるだろうが、
これを本気で思わないと心は定まらず分裂する。

もし分裂しない方法があるなら、
1.自分勝手に思い込みで生きるか?
2.あるいは裏表の二枚舌の自分を創るか?
3.頭ではわかってるが現実には関わらない傍観者でニヒルに生きるか?
この三者でしか生きれない。

人間は知識があるから変わるのではない。
知識を学ぶのは心を動かしたい、感動を得たいきっかけに過ぎない。

心が感動するから人間は変われるし、心が揺れながら定まるのである。

人生の目的は魂を浄化し、利他行に徹するプロセスに現れる価値だ。

具体的には仕事を通じて、他人に社会に地球に役立つ実践をすることだ。
だからこそ、年を重ねれば重ねるほど、
心が踊り、心動く人となり変化し続けることだ。

理性で心を止めてはいけないと反省する毎日だ。

心が動かなくなったら死ぬときだ。
感動し変化し続けることが生きる証だ。

皆さんの心は動いてますか?

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