「東洋的な自由」

投稿日:2020年11月15日 更新日:

トランプ大統領が敗北宣言をしないのは「自由」に対しての考え方が法による自由だからである。

世界で初めて共和国を創ったのはフランスである。フランスは「自由・平等・博愛」を三色旗に表し、ブルジョア市民階級が革命を起こし、王侯貴族や僧侶を打倒して労働者や農民を支配したのである。
「デモクラシー」はギリシャ語の「デモクラティア」が語源で、「デモス(人民)」「クラティア(~の支配)」という意味の単語を合わせた言葉で、奴隷もいた。

さて、アメリカはもともと移民の国で支配されるのを嫌って西部へ移動、この当時土地はタダであった。
「自由・平等・友愛」ということで自由と平等が両立した。個人の自由が憲法保証されている無支配を前提としていた。これを草の根民主主義という。このベースになっているのは土地を持たない独立自営農民だ。
もちろん法の下では自由ということで個人は保証されているので、トランプ大統領は法の下で自分の自由意志を通しているのである。
大統領選ではアメリカ北部で自動車産業や鉄鋼業など衰退した白人労働者を味方にトランプは闘ったがうまく行かなかった。
無支配の民主主義をイソノミアと言って古来のイオニアの政治形態で、ポリス内で行われたが、人間一般ではない。もちろん奴隷もいた。
フランスのように「博愛」でなく「友愛」なのはアメリカ独自の民主主義の考え方だ。

さて、東洋的な仏教的自由とは法の下で自由ではなかった。鈴木大拙は欧米でいう「フリーダム」(自由)には自らがないと言っている。
東洋の自由は「自らを持って由と為す」であるから自分の納得がある。
禅は究極において「己事究明(こじきゅうめい)」と言って自己の本来の面目を訪ねる。
キリスト教の神は外にあるが仏教は外には求めない。仏教では自分のうちに求めるのである。

チャップリンが面白いことを言っている。
「人生は内から見ると悲劇だが、外から見ると喜劇だ」
これはかなり東洋的な表現だ。
自由の考え方も法の下なのか、自らの内省からくる自覚なのかではまるっきり違った形や行動になる。

互いが完璧を外に求め競い合い、傷つけ合うのが現代の世界ではないだろうか?
宗教戦争、貿易戦争、イデオロギー戦争…と日夜闘い競い合うことで発展するという考えが先行し過ぎて、互いが許し合い助け合う「足るを知る」心の醸成が不足しているように感じるのは私だけだろうか。
現代の若者は豊かな時代に育ち、お金さえ出せば何でも手に入るし、情報もスマホですぐ答えが出る。
自由を何でも自分を押し通し、他人が行動変えればいいと反省しない、気に入らないとその仲間から離れることが出来るわがまま主義と勘違いしている。
一つの場所で、一つの仕事に打ち込んで辛苦を味わって乗り越えていくからこそ強い心を創ることができる。
自らの積極的な努力は決して裏切らない、豊かな心を創り出してくれることは間違いないし、物・心両面の幸福も実現される。
世界が本当に平和になるには東洋的自由を勝ち取ることだと確信する。

皆さんは東洋的な自由をいかが思いますか?

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