「コロナが教える日本の民主主義」に思う

投稿日:2020年11月24日 更新日:

アメリカの民主主義で憲法が保障しているのは法による個人の自由である。
コロナウイルスが世界中で拡大している中で、欧米では方法としてはロックダウンで都市封鎖だ。
これを実行すると人が行き来できないので経済活動がストップする結果を生み商売が倒産する。
経済と感染拡大防止は個々人の自覚によることが基礎とならねばならないが、個人の自由を優先する現実がある。

しかし、日本の文化は「困ったときはお互いさん」と言って助け合うのが普通だ。
いつまでマスクをするのかわからないが、他人に飛沫をかけないようにと常時マスクをかけている日本人が多い。
しかし、GO TOトラベル、GO TOイートという観光業や飲食店の支援策が出て、11月に入って第三波の感染拡大は起こっている。

話は変わるが、来年の新卒採用のために、毎月何度か会社説明会を開催している。
そこで質問するのは「なんのために働くのですか?」
答えは二つしかない。
1.「生活のため」
2.「自分のため」(成長したい)
そこで君たちには将来の夢はないのですか?
例えば将来自分で事業を起こし世の中のためになりたい。
国家試験を受けて国のためになる官僚、医者、弁護士になりたいとか、子供を立派に育てる教師になりたいと言う人物を目指すことはないのですか?

もっと現実的になると「お金持ちになりたい」と答える始末だ。
お金を何に使うのかですかと聞くと、「楽をして暮らしたい」
言い換えると仕事をしないで遊んで暮らすことが楽しいと思っているようだ。
実に悲しいが現実だ。
戦後民主主義がアメリカから入ってきて、自分の使命や責任を全うする自覚という個人主義でなく、狭い意味の個人主義であり、利己主義であり、もっと言うなら動物的な享楽主義ということが望みのように感じる。
コロナウイルスが若者を中心に多く見られるのは個人の自由という狭い個人主義が優位になっていると感じる。
年配の感染者は家庭内か病院、老人ホームなどの訪問者や看護師などからの感染だ。

さて、明治の福沢諭吉は「独立自尊」の精神を尊び、自分の人生は自分で切り拓いて行けと教えた。
禅では百丈禅師が「独坐大雄峰」という言葉を残している。
意味=百丈山で独り生きておる。(自己尊重であり、人間尊重、個人尊重だ。)
仏教には「一即一切 一切即一」(一人の中の全体であり全体の中の一人)
自分の全体であり、全体の自分を意味する。

だから人間は一人でいるという現実はあるが、決して一人ではないのである。
誰かの世話になっている。
生きるためには食べなければならないので、食物や魚や動物の世話になっている。
迷惑はかかっておる。
コロナウイルスが教えてくれるもう一つの日本の民主主義の本質が「他人に迷惑をかけない」という謙虚な精神が薄れてきたことだ。

さて働くことに関して「自分のために働く」という自己中な目的でなく、他人や世の中をよくする、世界をよくする、地球を良くするという発想が欲しい。
例えば「社会に感謝する人間となって恩送りする」
「みんなのために調和のとれた人間となり世のため人のために働く」
「人に迷惑はかけて生きているが、その替わりに他人の迷惑も喜んで引き受ける人間になる」
こんな社会の一員として働く志を高く持ってほしいものだ。

皆さんは日本の民主主義をどのように考えられますか?

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