「自由主義」は自分を磨け羽ばたける社会

投稿日:2020年11月27日 更新日:

「武士道」を書いたのは新渡戸稲造だ。
日本人の文化であり、人間形成の『道の精神』を世界に示そうとした書でもある。

アメリカのジョンズ・ホプキンス大学に学び、ドイツで農政学を学んでいる。
1911年に「修養」という本を出し、当時話題となって、個々人が自分を鍛え養ってこそ自由なんだと考える風土ができた。
諸外国の自由主義の意味は「自らを養う」というのは自分の志を立てることと学んだからだ。

福沢諭吉の独立自尊の精神も、国家の決めた階級の中での不自由から解放され自分を鍛えることを説いた一人である。
明治・大正には修養が叫ばれ、身分制度から解放され志を立て自由な人生を描くこと。まさに「末は博士か大臣か」である。

戦後の戦争を知らない私たちは自由で民主主義の社会を形成することを余儀なくされた。
しかし、戦前生まれの両親は敗戦によって、戦前の身分的な差別的意識から抜け出せず、自由放任主義となり、子供にはしたいようにさせてきたのが団塊の世代だ。

親たちは子供のこと思い、寄らば大樹の陰と教育を付け大会社に就職し終身雇用を保証してくれる道を選ばせたのである。
今の若い夫婦も幼稚園から大学まで名門校に行かせるため共働きをして教育を付けることが育てることだと思い込んでいる。

論語の李氏第十六に「益者三友、損者三友、直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり、便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。」
意味=交わって益する友には三種類あって、損する友に三種類ある。
素直で正直な人を友とし誠実な人を友とし、知識の豊かな人を友とするのが益である。体裁ぶる人を友とし、人触りが良くて誠実のない人を友とし、口先ばかりで調子のいい人を友とするのは損だ。
子供を思う親のすることは益者三友がいる環境を提供することではないでしょうか?

日本人は江戸時代の封建社会で培われた「士農工商」の世界の中で自己主張する事より耐えることを学んできたのでる。
ペリーが浦賀にきて、外国の植民地になることを恐れ、幕藩体制を改革することが必定と下級武士たちが立ち上がり維新を起こした。
明治政府は「富国強兵」「殖産興業」を旗印に官主導の経済政策を打ち出し、民間に払い下げたのが後に財閥になっていくのである。

一般の国民は「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と生活形態の西洋化が進み、文明にのまれ右往左往であったに違いない。
そんな中で、「修養」をもって自分つくりをしなければならないと新渡戸先生は説いたのである。

戦後の日本は欧米の真似をして生きていけばよかった。先進国の商品をさらに器用で生真面目な日本人が改善して商品を創り、世界中に品質の良さをアピールして、輸出立国を目指し歩んできた。1985年のプラザ合意以降日本は円高容認され、内需拡大を迫られバブルとなり、金融ビックバンが起こった過去がある。
山一證券や北海道拓殖銀行が倒産したのは記憶に新しい。

さて、世界は今、情報化社会でIT化がどんどん進み、店舗の小売業がネットの宅配にとってかわられる時代となってきているのが現状だ。
アマゾンが大手スーパーを買収し、リアルとバーチャルのハイブリットな世界に小売業が変貌してきている。

GAFAと言われるグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの時価株総額が750兆円になり日本のGDPを超す資金力がある。
今こそ、情報化社会で自らを磨く独立自尊の精神を養って生きぬかねばならない時代でもある。
コロナが来ただけで、HISという旅行会社は店舗の閉鎖。人員の削減といった事態になっている。大会社が安全という神話は崩れていく未来が透けて見える。
個人がただ技術を持っていると言ってもそれが機械に置き変わったらどうなる。AIに置き変わったらどうなるということを考えるともっと「修養」を実行しなければならない時代である。
ところが、大学進学の塾はあっても人間学を学ぶ塾がないのが今の日本の現状であろう。

皆さんは自由主義社会でどんな友を持ち、何をどこで学んでいますか?

-生き方
-