「病は不自信の処にあり」

投稿日:2021年1月20日 更新日:

「病は不自信の処にあり」と語るのは臨済禅師だ。
「自信」というのを「信念」「使命」と置き換えてもいい。
あるいは利他心の目覚めといってもいいだろう。

今アメリカで起こっていることは、人間の飽くなき唯物的な思考による現実の社会成長の断絶だ。
モノ・金の生産性をさらに成長させるためだけに重心を置くことからくる、人間の利害の対立断絶といってもいい。
自由で平等な社会を築くための成長には誰もが賛成するだろう。
しかし、ごく平凡な人間は人間が中心なら賛成で、モノ・金を中心の自由な世界観には反対するのが普通だ。
政治によって公平な分配がなされるように民主的に合議しながら社会をより良く創っていこうとしているのが現代社会だ。
ところが、現実は人間のための自由平等ではないという根本の問題が人間同士の立場の違いの利害対立の形で表れている。
いかに政治は万民に公平を実現させる難しい判断をせざるを得ない仕事であるかが理解できる。

一方、経済はいかに楽しい生活を送るモノを提供するのかが使命であり、常により良く成長させた商品を提供する。
当然、価値がなければ市場から追放され、誰も買ってくれないから解りやすい。
もちろん政治の困難さと同時に、経済は時代の生活形態や人間の価値観の変化によって商品が変化する難しさがある。
日進月歩、研究開発し、技術力を磨き、デザインをはじめ革新せねば、消費者を捉えることはできない。

人間はまず生活しなければならない。
現代のように分業が進み、自分で作物や衣服を作る時代ではなく、貨幣経済が発展している現代では、「貨幣」をたくさん持つ方が自由であると考えるのが普通である。
マルクスは「貨幣」のこの魔力を『物神性』(お金が神様に見える)といって、貨幣を稼ぐことが目的化することを言っている。
人は基本的に身体を維持するためにはモノを食べたり暑さ寒さから身を守らなければならないので、経済上必要最低限の貨幣がいる。


日本の相対的貧困層というのが6200万世帯の中で中間をと平均としたら16%いると統計学では出ているのである。
もっともっと成長させることが必要なのか?東南アジアに比べたら豊かなのか?比べられない。
それは、社会が平均的に同じ生活形態なら我慢もできるし、納得もするかどうかは人間の心の感じ方だ。
アメリカのように1%の金持ちが60%のアメリカの富を持っているという格差があれば、羨ましいという心が産まれるのは当然だ。

さて、ここでいう病とは他人と比較し羨む心を持つことである。
自分の生き方に自信を持って生きていれば何も病むことはない。
相対的に比較することによって現れる心の模様に過ぎないのである。
人間の本能は利己心だ。
社会的分業をして、機械化によって生産力を上げ、富をたくさん作った先進国は、もっと人間の心の拡大再生産を計ることが重要になる。
それは利己心を利他心に少しでもいいから浄化することだ。
心が澄んで明るくなれば、幸福の光が注いで晴れやかで、ワクワクして楽しくなること間違いなしである。
自分を自慢する自信でなく、謙虚に利他心を養い、今を生きる人とともに喜べる心の浄化こそが病から救われる処方箋だ。

皆さんは本物の自信に気づかれていますか?

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