「遊ぶんだな」山田無文さんの諭し

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高校時代に私が「生きる」って何だ?と悩んでいた時、友人が義理の兄貴からもらった山田無文さんの「中道をゆく」という本を私にくれた。
これからの日本は右翼・左翼に真正面にぶつかる信念と情熱を持った中道派が多くなるといいという結論の本だった。
仏教でいう「無分別智(むふんべつち)」を体得して、みずから自分の人生を切り開けという諭だった。
当時は相対的に区別して分別ばかりの二元論だった私には全く理解できなかった。

さて、無文さんのエピソードに「遊ぶんだな」という話があるので記すことにする。
京都大学の哲学科にいる学生が何やら悶々としていたので、無文さんを訪ね質問した。
学生「人間は死んだらどうなりますか」
無文「そうだな、息が止まるだろう」
学生「息が止まってどうなりますか」
無文「そう、火葬場へ行くだろう」
学生「火葬場へ行ってどうなりますか」
無文「灰になるだろう」
学生「灰になってどうなりますか」
無文「それから先は知らん」
学生「結局人生の目的は何ですか」
無文「遊ぶんだな」
学生「遊ぶんですか」
無文「そうじゃ、遊ぶんじゃ」

遊ぶという意味は重要ですね。
一般には遊びと仕事を分けて、仕事は苦しい、遊びは楽しいと分別して考える。
禅的には「無分別智」と言って、仕事も遊びも分けない主体を作ることを体得させる。
別の諭し方には「遊戯三昧(ゆげざんまい)」と言って、仕事に集中して我を忘れてしまう心境を作れば苦から解放される。
決して仕事の場所の逃避場的な「遊び」を意味するのではありません。
この学生のように頭の中で生きる理想を思い描いて、自分の外に自分の生きることを求めてもないのです。
外に答えを求めるから、現実が思うようにいかないで、生きることまで苦しくなって深く悩むのである。
日蓮も「浄土というも、地獄というも、外には候わず、ただ我等が胸の間にあり」と諭す。

若い時には誰しも「人生の目的は何か」と悩むのですが、早く脱出しなければなりません。
禅的な答えは「即今(そっこん)」である。
今置かれた環境で精一杯生ききって、自分で自分を創り出していくのが生きること。
もちろん今の環境のまま続くのか、あるいは縁があって別の場所で精一杯生きて役に立つのかは誰にも分からない。
理想主義的に外に求めても詮無いことなんだと無文さんは諭す。
「無目的の目的」=「即今」=現実の中にある。
だからと言って、現実そのままで惰性的に作業化して生きるのでなく、「即今」に腰を据えて楽しく明るく「遊ぶんだな」と無文さんが笑顔で語っているのが想像される。

皆さんは日々ワクワクしながら「即今」遊んでおられますか?

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