「無為自然」老子に学ぶ

投稿日:2019年5月3日 更新日:

中国の古典で、二千数百年前の約百年かかって体系化されたといわれている。
秦の始皇帝がなくなり、項羽と劉邦が争い前漢を樹立する。
ところが、始皇帝は法治による政治をしたためにあまりにも自由がなく崩壊したのである。
そこで劉邦は「法三章」といって、三つだけしか作らず大まかであった。
武勇にたけた人が政治の中心で言葉や態度も荒々しく、品性もなかった。

そこで、董仲舒という儒学者は道家の老子の「無為自然」をベースに儒教を国家教学として政治的重要な地位の人に教養を身につけるようにしたのである。

さて、「道」とは何かが重要だ。
1、万物の根源を意味し、そこから天地が生じ万物が生まれる。
2、万物の存在を支配する根本的原理である。(天地自然の理)

孔子も陽貨第十七に子貢が、
「子如(も)し言わずんば、則ち小子何をか述べん。
 子曰く、天何をか言うや、四時行われ百物生ず。天なにをか言うや。」

意味=子貢がこれを聞いて「先生がもし何も言われなければ、私どもは、どうして先生の教えを学び伝える事ができましょうか。孔子曰く、天は何を言うだろうか。しかし春夏秋冬の四季はめぐっているし、万物は自ら成長しているではないか。天は何を言うだろうか。」

老子の言う「無為自然」とは、「無為」は何もしないことでなく、作為や賢(さか)しら、小細工を弄しないという意味である。
「自然」も「あるがまま」と言った意味に近いが「無為」即ち無欲、無私を体得して自然に振舞う事だ。
自分を背伸びして見せると足元が定まらない、また自分を誇張すると排斥される。功績を自慢すると非難される。才能を鼻にかけると足を引っ張られる。
道の体得した人はこんな行動をしないで、水のように低きに流れ謙虚で柔軟に逆らわず寄り添う生き方だ。「上善如水」である。
リーダーには四段階ある。
1、理想的リーダーは部下からことさら意識されることはない(存在感が消える)
2、次は部下から敬愛されるリーダー
3、その次は部下から恐れられるリーダー(ピリッとした空気になる)
4、部下からバカにされるリーダー(約束を守らない)

若い時は「老子」は好きでなかった。
かっこよく戦い方を学べるんでなく、戦わなく耐え忍ぶように感じたからだ。でも、今読み返してみると、自分が中心になることより、事物や他人を生かすことが主眼だと考えれば腑に落ちる。
今までの四流、三流のリダーシップを反省するばかりだ。

皆さんは「無為自然」如何に捉えてられるでしょうか?

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