「論語」に学ぶ

投稿日:2021年3月26日 更新日:

学ぶといっても何のために学ぶのか?
「己を磨くために学ぶのである」というのが孔子の考えである。
ところが、2500年前の春秋戦国時代の孔子が現代も売名行為で学んでいるというのだから、今も昔も変わらないのだなと感じる。

子路との問答の憲問第十四
「子路、君に事(つか)えんことを問う。子曰わく、欺くこと勿れ。而してこれを犯せ。子曰わく、君子は上達し、小人は下達す。子曰わく、古の学者は己のためにし、今の学者は人の為にす。」
意味=子路は主君に仕える心得を訪ねた。孔子は誠をもって仕え、偽りのないのが一番だ。そうして時によっては、面を犯して諫めるがいい。大人(君子)の人は天理に従って向上し、普通の人(小人)は人欲に従って下落する。昔の学んだ人は自分の(修養)のためにしたが、今の学ぶ人は、人に知られたいために学んでいる。

さて、君子の道について書かれているのがこの憲問第十四にある。
孔子の人柄の謙虚さ素直さを感じられる私のお気に入りだ。

「子曰わく、君子の道なる者三、吾能くすること無し。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。子貢が曰わく、夫子自ら道(い)うなり。」
意味=孔子先生が言うには、君子(大人)の道には三つある。私にはまだ出来ていない。その三つとは仁者は内にやましいところがないので憂えない。知者は道理をわきまえているので迷わない。勇者は義を貫く意志が強いので何事も恐れないということだ。子貢がこれを聞いて言った。「それは先生がご自分でおっしゃったことで、おそらく謙遜だと思う。」

私がこの箇所を気に入っているのは、孔子のように易経をはじめ四書五経に学んでいたら、春夏秋冬の天理も理解して、具体的に言動が所作に表れているに違いないと思うからだ。
学而第一とは学ぶことという一番言いたいところに、曽子曰くで書かれているが孔子の意をくんだものだと察する。

「曽子曰く吾日にわが身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。」
意味=曽子が言うには、私は日に三回反省する。人に対して真心からを尽くしたか、友達と交わって嘘をつかなかったか、まだ習得していないモノを教えなかったか。

論語の学而第一の初めに出てくる言葉で重要な意味を持つ。
子貢が言うように孔子先生は人間であり、永遠に学び続ける姿勢を語られ、自分は君子の三つが出来ていないとおっしゃられたのは同じ学ぶものとしての目線で語られる人間味のある人なのだ。

皆さんは孔子の学ぶ姿勢いかが感じられますか?

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