幸福に生きたい、愉快に生きたい。
誰もがそう考えることは間違いない事実でしょう。
仏教に帰依し「悟り」を得たいと修行する人も同じように、
幸福に生きたい、愉快でいきたいために、「悟り」という方法を選んだ人も、選ばされた人もいるだろう。
幸福で愉快に生きたい結果を得たいと強く思ったひとが、
そこにたどり着く方法、手段の一つが仏教の「悟る」修行で、
千日回峰行や永平寺の坐禅三昧もある。
日常生活している我々は日常生活そのものが幸福を得る手段の場である。
家庭を養い、子供を育て一人前にする。
どう生活の糧を得る仕事をするのか、また子供をどんな風に育てるのかの方法・手段は個々人違うが、
幸福で愉快に生きるには二つの原理原則がある。
1、他人を喜ばす利他行をする。
2、自分は昨日より今日、能力も心も体も成長するよう努力する。
森信三先生は、
「この世を愉快に過ごそうと思ったら、
なるべく
人に喜ばれるような
人を喜ばすようなことに
努力する事だ」
その努力の方向性を松下幸之助さんは、
「人と比較して
劣っているといっても
恥ずることではない
けれども去年と今年の
自分を比較して、もしも
今年が劣っていたら
恥ずべき事である」
現実直視するときの原理原則は、
「無いものを見ようとせず
嘆くのでなく
あるものを見て感謝しよう」である。
どうして繰り返し、他人を喜ばすため、現実を直視し、自分は日々成長する努力をしろと表現する。
自分が自分の幸福、愉快に生きること一番にしてはいけないように聞こえるが違う。
「自利利他」といって、自分の利益から考え行動するが、
どうも他人に利益から考えた方が自利は実現すると仏教では諭す。
人間の遺伝子は本来、利己的に身を守るようにできてる。
だからこそ、利己的に考えるのは誰でもできる自動スイッチだ。
だから自分の中に利他行するスイッチを造らないと本当の幸福や愉快にはならないという事だ。
皆さんは今幸福で、愉快に生きておられますか?