この言葉は松下幸之助さんの言葉だ。
40有余年事業をして何回も騙されてきた。
その時の自分の心境はどうだったかと自問自答すると、
二つの心の動きがある。
1、他人に自分と代わってほしいと依頼心がでたとき。
2、自分の中の欲望が高まり、冷静さを無くしたとき。
信頼していた人にだまされるのは、人間不信になり絶望を味わう。
何度となく自分に問いかけ「人間を疑え、信じるな」と言い聞かせても、
それでは「人でなし」の国で仕事し生活する事になる。
人間社会で生きているには「信じなければ生きられない」
しかし、「信じすぎては生きられない」この信じすぎるとは自分に甘えがでて、
依頼心が起こったことの証でありおごり高ぶったときだろう。
さて、手塚治虫さんの残された言葉の中に、
「人を信じよ。しかしその百倍も自らを信じよ
時によっては、信じきっていた人々に裏切られる事もある
そんなとき 自分自身が強い盾であり、
味方であることが、絶望を克服できる唯一の道なのだ。」
どうすれば自分を100倍信じる心の姿勢ができるのかを自問自答する。
手塚さんのようでありたいと思うが、
自分を信じるという肯定的な心の姿勢には共感するが、
前述したように傲慢であったり、驕り高ぶったりする心の姿勢になり、
社会的な調和を欠く結果にもなりかねない。
「信じて信ぜず」という言葉の意味は、
他人に対する心の姿勢であると同時に、
自分自身の心の姿勢にも問いかけている言葉だと深く感じ入った。
「心こそ心惑わす心なり、心に心許すまじき」
こんな格言がある。
皆さんは他人も自分も信じ切れますか、最初から信じないですか?