「伊與田覺先生」から学んだこと

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私は中津論語を楽しむ会で村下好伴先生から論語を十数年学びました。

戦後のアメリカの監視がなくなる昭和26年頃まで、
戦前にあった修身がすべてアメリカの指示で学ぶことができなくなったため、
村下先生は伊與田先生とともに日本の道という生き方を憂い、
日本の人間学復興のため安岡正篤先生を中心に先哲の講義が始まった。

伊與田先生は「時務学と人間学」と言われて、
知識や技術を習得するのを時務学、
人に成るため(成人)の徳性を育成するのを人間学と表現され、
先哲の教えを学び、自ら良知を身につけ、
人間になるように自ら磨き上げることの重要性を説かれた。
伊與田先生は人間とは神仏と動物の中間に存在し、
その両方の特徴を備えている。
神仏と動物のどちらの方向に向かって努力するかによって、
同じ人間でも全く逆の方向に進んでいくと言われる。

論語に「性相近きなり。習ひ相遠きなり。」という言葉がある。
「人間の性質は生まれた時はほとんど差がないけれど、
学びによって大きく隔たってくる。」という意味だ。
また、「教え有りて類なし。」という言葉もあるように、
人間の賢さ、愚かさは教育に左右される。
必ずしもその人の環境や貴賤に左右されるものではない。

天地のルールを道理と言い、人のルールを義と言います。
道理や義を無視して儲けに走るところから様々な問題は生じます。
至善に止まることを目指し、何事も道理や義にかなった行動を
心がけることこそが真の繁栄に通ずる道だと信じる。

曽子(そうし)の四書のうちの「大学」の三つの柱のうちの一つが「至善に止まる」であり、
あとの二つは「民に親しむ」(一体感のある治め)、
「明徳を明らかにする」(各々が天から与えられた徳性を発揮する)である。
そのためには以下の事を実行することだ。
1.古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。
2.その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。
3.その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。
4.その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しゅうする。
5.その心を正しゅうせんと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠にす。
6.その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。
7.知を致すは物を格(ただす)にあり。

「内なる心を正しくする」というのが「感情を正常にする」ということで、
つまり喜ぶべき時に喜び、怒るべき時に怒り、喜怒哀楽を適切に表現することだ。
感情を正常にするには知を致す。つまり知恵を極めていくことだ。
そして物を格(ただ)す。わが身を正し修めることだ。

皆さんは神仏の方向ですか動物の方向ですか?

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