「使命」というのは命の使い方であり、この社会の中でどう生きていくかである。
このことを実現させるには「立志」がいる。
私が27才の時に出会った青年が愛媛県の御影石を全国へ普及させ振興したいと夢を語った。
具体的には1億の仕事の仕舞をすることがあった。
命の使い方が解らなく、もがいていた時の事だった。
愚かで怠け者で欲張りが人間の本性だと言い切る人がいる。
この三つの人間の本性を、自分でひっくり返す努力がなければ実現しないのが現実だ。
まずは、技術がないから体得する。そして次に、仕事を創造する手段や方法を異業種から学ぶか、現実の中で何か困っていることを洗い出し、課題を見つけ、答えを考え、実行して試行錯誤を繰り返す。
20代はこんなことを繰り返してきた。
ただ未来が見えない不安がある中、生活するための資金をつくることが目の前の目標だった。
当時は、安易にお金を貸してくれるところはなく、保証人がいるか同等の担保が必要だった。
働けど、働けど、資金は貯まらない。
誰かに依存したい、助けてほしいという気持ちになると同時に、社会や他人が悪いと他責にする自分が出てくる。
愚痴が出る。他人の言動に前進しない現実から怒りの気持ちが起こる。
「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」
言葉は知ってるが、人間の本性である「愚かで怠け者で欲張り」という本性が出てくる
一番大事な社会の事、人間の事を全く学ばないで、自分の本能に従って生きてきただけのサルであることに気づかされる。
学ばなければならない課題は分かっているが、さてどこからどう学ぶかの入り口さえ分からない。
今すぐ役立つ技術は変化が早いが、根本的な学びは10年、20年かかるに違いないと覚悟しなければならなかった。
まさに、命を生きる。生命が躍動するように自分が自分を育てることを実行しなければならない。
他責にする依存から脱却して、自責にしなければ、自立がないのは分かるが、困難にぶつかると依存心が顔を出す。
徹底して自責を自覚することだ。
自分を助けるのは自分。
学び続けて社会的な自分を創っていくこと、人間としての器量や度量をつくっていくことを楽しむ。
「愚かで怠け者で欲張り」な本性欲を少なくして、命を生き生き使う努力家になり、毎日が学びとド真剣に現実と向き合う以外に方法はない。
稲盛さんが「誰にも負けない努力」と言われているのは、24時間休みなく働くことでなく、努力の質を高め習慣化して、命が輝くように行動することが本意と察する。
人間は肉体からくる本能心と精神からくる進化、向上心の矛盾を原動力に命は燃えている。
身心を絶対積極に統合し、明るく溌剌と生き生き命を燃やすことが自責の人であり自立した人だ。
未来に向かって「立志」があり、自らを客観化する「心願」をもって人間力を身につける。
現実の自分はまだまだ未熟であることは分かっているが、日々新たに邁進することを自覚する以外ない。
皆さんは矛盾を原動力にされていますか?