大阪石材社長ブログ

「私から公」への公私混同価値の時代

投稿日:2022年1月14日 更新日:

私の夢から始まった事業は45期目を迎える。
会社を個人のモノにしないで民主的運営をしようと、最初から親戚縁者を入れず他人で発足した。
会議も月に2回、商法にのっとって役員会という経営の会議をやってきた。

夢は「石材を全国へ普及しよう」というものだったが、実際には現状の市場を調べた訳でもなく、漠然と「市場が広域に広がれば儲かるな」という程度の浅い夢の自己実現の欲求だった。

資本主義は基本的には利己心を肯定し「競争と信用」を築かなければ発展しないと思って人の倍働いてきた。
しかし、それでは利己的利益を優先していることが実現せず、自己犠牲の働きをしても利益は出なかった。

資本主義は利己心で競争して利益を出せば、税金として公に奉仕することになるという論理の利己肯定だ。
でも、人間の遺伝子は利己心だから、人は節税と称して私利を優先し、なるべく税金を払わないように立ち回るのが現実だ。
株式会社は利益を目的とした組織と位置付けられていたのは45年前の常識であった。

ところが最近は論調が変わってきている。
資本を出したものに還元するだけでなく、それに携わるステークホルダー(取引先や消費者と言ったように関係する利害のある人)みんなに利益分配するというようにだ。
それだけではなく、脱炭素化が叫ばれ、環境を回復させる投資をESGと言って環境、社会、統治を率先してやっている企業に投資するように供給者の倫理観が変化してきていると同時に、倫理的消費と言って環境や人権といった社会問題にとり組む企業の商品を進んで買うようになってきている。
高度経済成長の時のように、「より良いものをより安く」と拡大再生産ではなく、「より倫理的に供給、消費する者は価値が高い」という価値観になってきた。

このような時代背景は、私たちが単なる「私の夢」という利己的な自己実現でなく、「公人」としての倫理観を持った「公の志」へとレベルアップする哲学観を磨く時代になっているとも言える。
民主的に会議して、利己心を否定するのでなく、利己心を内包した利他心と言う公人としての倫理観を持った「世のため人の為」のビジネススタイルになってきている。

「私の夢」からスタートした事業は民主的に、自己犠牲をして利己心を前面に出さず、利他的な目的である「世のため人のため」という「公の志」で事業を推進してきたが、方向性は間違っていないと最近特に確信する。

盛和塾で稲盛和夫さんに二十数年学びながら、人間の遺伝子は利己心と言われ、自らの利己心を二の次にし、利他行を一番にすれば発展すると信じ邁進してきた。

時代が自然環境をもとに戻すことを優先しだしてきた「公私混同しない」という相対的な価値観であったが、利己的な「私」であるが「利他的な「公」を一番にするビジネスの「公私混同」時代がやってきたのも事実だ。
昨年のNHKの大河ドラマの題材となった渋沢栄一は「日本の資本主義の父」と言われ、『論語と算盤』にもあるように「道と経済の合一」と言ってのけた先人であるが、世界は東洋的な「無」の価値観を意識してきているように感じる。
「奪い合えば足らぬ、分け合えば足りる」のことわざの通りではないだろうか?

皆さんは私の言う公私混同の時代いかが感じますか?

-生き方, 経済