大阪石材社長ブログ

「努力」について

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私は27歳の時に縁があって石材業を始めることになった。
全く門外漢で、何も知らない素人の船出だった。
資金もなく、人材もなく、技術もなかった。
なので、最初に考えたのは「とにかく普通の人の倍働けばいい」ということだけだった。
そうすれば、少なくとも普通の人より早く技術や市場の状況を理解し、石材の知識も学べるだろうという単純な思考だった。
元々身体が丈夫だったのか、やっている内に丈夫になったのかは分からないが、日々崖っぷちで後戻りできないぐらい切羽詰まっていて病んでいる場合ではなかったからか、人の倍働けた。

はじめは社員も少なくトップダウンの組織だったが、どんどん社員数が増えるに従って組織的に役割分担をしなければならない規模に成長してきた。
しかし、事業運営の経験もなく、統合する会社の柱になる理念がなかったので、京セラの稲盛和夫さんが主宰する盛和塾で学ばせてもらった。
その盛和塾は一代限りということで3年前に解散となるまで、25年間本を読み講演を聞いた。
そこで学んだ理念の柱は「従業員の物心両面の幸福」であり、行動の第一番は「誰にも負けない努力」だった。
次に驚いたのは、理性が正しいという風潮がある中「想いを強く強く持て」、「心を高めよ」という言葉だった。「想い」がないと具体的な方法や、行動が決まらないというのだ。

そして、「心」と「努力」を深く考えていた時に出会ったのが元京都大学総長の平澤興(ひらさわこう)さん言葉だ。
まず、「心」についての言葉を紹介する。
「人間として生まれてきたのであるから、ただ外の花を楽しむだけでなく、自分の内の花を楽しもうではないか」
「内の花」とは自分の心の姿勢、誠を創ることだと気付いた。
そしてもう一つ、「努力」についての言葉。
「努力することの本当の意味は人に勝つことでなく、天から与えられた能力をどこまで発揮させるのかにある」
努力とはただ外の物事を分析する知識を得るものでなく、体験を通じて目に見えない精神的な思考や観念と言った「正しい判断基準」を身につけること。
心を磨くだけでなく高めていって発展進化することこそが誰にも負けない努力の質だ。
決して単純に量的な時間や数量を倍にするという意味ではないということだった。

感情的に揺れ動く心に善悪、正邪といった「何が正しいか」という判断基準を持った心を自ら創ってこそ、自分の心の主人、主体的人間になれるというのだ。

みなさんは自分の心を自分で高め磨いてますか?

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