大阪石材社長ブログ

「学ぶ」について

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「学びたい」という欲求が強い人は具体的に解決しなければならない課題を自覚している人と言える。
言い換えると「人生を自ら変えられると信じている」、自己責任で成長しようという人である。
学ぶ意欲のない人は責任転嫁することに頭を使い、未来の自分を成長させたいと思わない人である。
ということは、学ぶ人は「未来志向」の人で、創造力のたくましい人だと言える。

この創造力は人間だけが持っているもので、イメージして自己暗示をかけると実現する能力のことだ。
建築設計士が完成図を想像して描いた具体的な設計図(イメージ)を使って、建築物を実現させるのは皆さんご存じでしょう。
同じように、出来上がりのイメージを強く強く思って、自分の学びによって実際に行動したら思いは実現した。
決して偶然でなく、イメージを行動に変えて具体化したに過ぎない。

「学びの三方良しメカニズム」は以下の通りだ。
「自分良し」=習うが楽しい→習うは身体化
「相手良し」=教えるが楽しい→教えるは言語化
「世間良し」=育てるが楽しい→育てるはスピリット化(気持ちの集合体で思いを分かってもらう)
別の言い方すると、学ぶのが大好き→追求する→人の役に立つ仕事して喜ぶ→自分良しとなる。
学びを邪魔するのが「自我」の判断であり、本能からくる損得勘定、好き嫌い、善悪だ。この「自我」を「無我」にしないと素直に学びを理解し行動に転嫁できないのが現実だ。
松下幸之助さんがことさらに「素直」を強調されたのも納得だ。

さて、「学び」の原理原則を実行すると「思い」は実現するという当たり前のことを最初に悟ったのは弘法大師空海だ。
仏教には顕教と密教がある。
顕教は釈迦如来を本尊とし、六道輪廻(地獄餓鬼畜生修羅人間天上)を毎日ぐるぐる回っているのが普通の人間で、死んだら煩悩(欲望、欲求、妄年、妄執)の火も消えて、成仏するという教えだ。
ところが、空海は密教と言って大日如来が姿を変えたもので、姿かたちが異なるが自分と一体になり、「即身成仏」、今ここ直ちに大日如来の化身となって解脱すると顕教とは逆転の発想をしたのである。

密教の経典に「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」というのがある。100日100万回真言を唱えるという修行だ。
これには科学的根拠があることが現代は証明されている。
『変性意識状態』を作って、自己暗示かける方法でイメージを現実化する。
今の科学では人間の脳は物理的空間と情報空間が同時に存在するようにできていると言われており、「マントラ」を唱え続けると夢を見ているように物理空間から情報空間に主軸が変わるのである。(変性意識状態をつくる)
例えば、プロゴルファーや格闘家は試合に臨む時に必ず自分のルーティーンを持っていて、それを行ってから試合に臨むことも同じことだ。
自分を信じ、勇気をもって、勝というイメージをして現実化しようと暗示かける、勿論、行動もそれに従うということだ。

その自己暗示には3つの段階がある。
1.単語法(感謝、勇気、できる)
2.イメージ法(寝るとき、起きるときに成功をイメージする)
3.スイッチ法(なりきる。靴を変えたり、決め服を着たり、眼鏡を変えたり、なりたい自分に変身する。)
リアルな現実物理空間にいるが、睡眠前や起床時のような夢うつつの時には人間の脳はリアルとイメージの区別がつかなくなるから、イメージの方が現実と捉えることを利用して自己暗示かける。(例えば梅干を見ると唾液が出るでしょう、食べてないのに…)
中村天風も同じことを言って連想暗示法や命令暗示法、断定暗示法を活用することを心身統一法で語っている。

また、大日如来と一体になるにはどうすればいいかという方法も語っている。
三蜜と言って、人間の業(カルマ)は「身口意」と言って、ここから情報が入って煩悩の炎は燃え盛る。大日如来と一体になる情報空間へ行くには、「身蜜」=印を組む、「口蜜」=真言を唱える、「意蜜」=イメージをする、この三つを行うことだと言う。
まさに仏教修行者は「自ら変性意識状態」を作って自己暗示をかけたのである。この修行を終えたら脳の記憶力は超人的になることも体験上解っていた。
空海は高知県の室戸岬で100万回の修行をして明星(火星)が自分に飛び込んできたか、自分が飛び込んでいったかを体験したというのだ。それを「入我我入」という。
「学ぶ」だけでは理屈だ。「習」身をもって体験してこそ本当の学習だ。

みなさんは空海の即身成仏やってみたいと思いませんか?

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