自分にとって厳しい人は優しい人と思いますか?
もし、そうだとしたら成長願望、向上心の強い人でしょうね。
人間の感情からすると、“気分が悪く嫌な人”と、
自分の都合で受け取るのが普通の人間でしょうね。
最近の社会的風潮は「褒めて育てろ」と、ことさら強調する。
未熟な人間を直接叱ることができなくなってきた時代であり、
罪を犯すまで待つのが忍耐力のある寛容な心構えと評される。
だから法律によって、罪を犯してから裁くのであって、
人間同士が現実の課題に倫理観や道徳観で話し合うことをしない風潮だ。
最近のニュースで、学校の教師間のいじめ問題がよい例である。
校長は被害者加害者のヒアリングをして事実を記録するのみで、
責任は法律に任せる解決方法をとることになっていた。
ここまでマスコミが取り上げるのは教育者内の保身による隠蔽体質ではないだろうか?
人間は不完全であるから、どんな人間も間違いを犯してるのが事実だ。
だから直接叱ることはできないと自己責任を回避するのは解る。
しかし、不完全だからこそ言動に責任持って叱責する勇気こそが、
人間を人間らしく成長させる体験であることも間違いない。
仏教ではこれを体得と言って、現実から逃げないで修行する。
外の世界では自分の欲を増殖しない環境で質素な暮らしをする。
内の世界では自分の行為に反省と感謝の念で自分を客観的に見つめるのである。
聖人君子になれというのではない。
良識的な判断ができない保身は利己心だ。
子供に利他心を教えることができるだろうか疑問に思う。
一休禅師は以下の言葉を残している。
「今日ほめて明日悪く言う人の口
泣くも笑うもウソの世の中」
こんな風に世の中を見ると虚無的になるが、
「そんなもんだ」と腹をくくって生き生きと具体的に楽しんで生きる。
極めて楽だ。(極楽はここにある)
皆さんは自分の都合で判断されていますか?