大阪石材社長ブログ

「人間力を身に着ける」

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人間として生まれたら、誰でも知ることから始めて学ぶ。勿論、自分の好奇心に振り回されてどんどん知性ができ知能が作られる。

幼い頃、木の上にある食べ物を見つけ、それをもぎ取って食べたいとなると木登り技術を磨く。少しずつ挑戦し失敗もするが、色んな事をできるように技術を磨けば、技能が身につき行動範囲も広がる。
自分の思いが実現すると同時に自分の視野が広がり、自分の住む世界が広がっていく喜びを感じる。

人間力とは上記の知能や技能の事は第二義的なことで、第一義的なのは「徳性」を磨くことだ。
「徳性」とは人を愛する。世の中や他人に報いたり、助ける、清廉潔白(公明正大)とう精神的な原理原則を養う。王陽明の言う「致良知」である。
言い換えたら人間の品位、権威、使命、責任感を磨くことだ。
呂新吾の「呻吟語」に五つの原則の一つに「気質を変化する」と言って、もって生まれた自分の性質・根性も変える。つまり、学問によって人間を変えるということだ。

私たち学生時代には学生運動が盛んで、マルクスの共産主義運動が起こりました。イデオロギーだ自由主義だということが流行っていましたが、安岡正篤さんの人間学講和には、アンリ・フレデリック・アミエル(フランス系のスイス人の哲学者)が、
「主義なるもの」
『主義なるものは恐らく我々の欠陥に対する一種の知らず識らずの弁護に他ならない。』
世間に対しては共産主義者、演説が終われば仲間と自由に話し自由主義者となり、家に帰れば封建主義者になるというあてにならない事だと言うのです。

本物の学問は理性を超えて良知に至り人間そのものを変える力があり、真理と実践が一致するものを言う。
利己から利他へという個人的なことでなく、公人としての信念に根差してこそ学問の意味や価値がある。

人間として気品や立ち居振る舞いの美しさ、何が起こっても堂々とした振る舞いができる「徳」が身につくことだ。
勿論、知力や能力もいるが、何より日々習慣化された言動一致が創り上げること間違いなしだ。
ただ、知力だ能力と結果にこだわるのでなく、行動が良知の原理原則にかなうことが学ぶ意義だ。
「自反尽己」に尽きる。

みなさんは人間力を養うのに気質まで変化させる行動を習慣化されていますか?

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