大阪石材社長ブログ

「自利利他」に思う

投稿日:2024年2月4日 更新日:

人間の根本のエネルギーは400年前のデカルトの科学手法による。
それが資本主義を物欲的自利に走らせ、それが正しいと今日まで来た。
その手法は理性至上主義で、感情は理性と正反対と考えられてきた。
経済的な市場は利己的物質的利益優先で感情を考慮しないとした。
アダム・スミスが「国富論」の前に書いた「道徳感情論」では、「相手を思いやる義務」と「自分の利益」を追求する意欲こそが人間の根本エネルギーだと言っている。
ここ200年この矛盾の中でもっぱら「自分の利益」優先で走ってきたのが今の資本主義だとも考えられる。

自利には二つの意味がある。
1.物質的な利益という自利
2.もう一つは精神的な利益という自利(自己満足でなく、「自己が成長し磨かれる」という自利だ。)
利他にも二つの意味がある。
1.見返りを求めない奉仕の利他(仏教的には布施)
2.物質的な利益でなく、社会的に名誉を求めた利他(精神的な名誉欲)

アダム・スミスの時代背景には階級的差別があり、今の日本のように多くの国民が飢えることなく生活できる時代でなかった。
だからこそ物質的利己と精神的な利他を対比させた扱いになったと推測される。
もちろんこれは量と質を秤にかけ利己心は本能的で悪い考えと断言して論の展開だ。

事実の捉え方で利己心も自分を磨く成長するチャンスと考えることで何でも自分のものにする利己心とは違う。
日本のことわざに「苦は楽の種」「上り坂あれば下り坂」「浮世の苦楽は壁一重」
人間の自利は本来成長する遺伝子が喜び、自らそれを楽しみ生きがいとするところに本来の自利ある故に、仏教ではまずあらゆるものに興味を持ち成長を求める心の自利の本質があり生き甲斐が生まれるのである。

みなさんは成長欲求の自利が活動してますか?

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