世界ではロシアがウクライナ侵攻し、イスラエルがガザを攻撃し多くの命が失われている。
つくづく、人間には二面性があると感じる。
人間を創った創造主を私は知らないが、自分がどの道を歩み創っていくか問われる。まさに、一瞬一瞬に善悪を突き付けられるように。
元来、人間は動物であり、まずは身を守る本能が根底にあるから自分を生かすには悪人にもなる時がある。猛獣に襲われたら殺してでも生きたいと思うだろう。
又、殺されると思い込んだら、先手を打ってその相手を殺すかもしれない。
日々、善悪の矛盾の中に生かされていると言っても過言でないのが現実だ。
二宮金次郎が生まれた宝永年間は、富士山の大爆発が起き、多くの人が亡くなり、人々の生活は崩壊した。
金次郎は「天の二面性」に気付き、災い(自然災害)をもたらす面と太陽と地の栄養と水で作物を育み、人間に幸をもたらすことに感服したのです。
その中で人間が生きていくにはするべきことがある。田畑を開墾し作物を植え、収穫することです。
天道と人道は助け合えば命を育める幸せが訪れるのは間違いないと確信する。
しかし田畑は人間だけのものではなく、あらゆる動植物も同じように命を育むように必要としている。ほったらかしにすると雑草が生い茂り、大きく食物が育たないから手入れがいる。良い成果を得るには人間は創意工夫してコツコツ努力することが重要な仕事になる。
豊かな恵み(富)を得たければコツコツ雑草をとり、水をやり植物の生育を見守る必要がある。まるで、我が子を手塩に掛けるように。
金次郎はこんな句を詠んでいる。
「おのが子を恵む心を法(のり)とせば、学ばずとても、道にいたらん」
人間の生きる道に気づくというのだ。
毎日少しずつコツコツと田畑を耕すように小さなことの積み重ねだという。それを「積小為大」という。コツコツ辛抱強く忍耐する、まさに「継続は力」なりですね。
さて、こんな金次郎の体験から生まれた貧富論は実にシンプルだ。
「富む」には収入の半分で生活し、余剰は来年に繰り越す(貯金)というものだ。
「貧乏」には、働かない、節約しない「怠け心」が起こることを言う。
それでも、金次郎はつらいことの連続だったので、お墓をつくったのは初代からの供養をして先祖の恩に感謝を心に刻み直すためであった。
こんな素晴らしい日本の先輩の功績を、現代には伝えられていないと、小学校の正門横にむなしく立っている薪を背負う金次郎の像を見て思った。
戦後の教育では個人の自由を強調し、人は自己責任を覚悟して、何をしてもいいという風潮が浸透し、金次郎の三つの志が教えられていない。
「至誠」(まごころを持つこと)であることを基本として、「勤労」の尊さ、「分度」(分をわきまえること)、「推譲」(家族・子孫・後輩・社会へ譲ること)を実行することだ。
戦前まで日本人は金次郎の体験からこのような人間の生きてゆく根本の柱を学んできたが、戦中の教育の修身では「金次郎の事を参考に『立派な日本人』になれ」と国民が総動員されて戦争に向かったことも事実だ。
現在の世相は経済的な発展も成長も望まず、自分の確固とした世界観や人間観を磨く学びの場もないが、若者が夢を語り新しい未来を築くチャンスが到来していると感じる。大いに語り、世界の羽ばたく行動をすることが望まれる。
スポーツ界ではそんな人物がどんどん出てきているのも事実だ。
みなさん大いに発奮して新しい未来を創造し実践しよう、天道人道和して!!