松下幸之助さんはモノづくりが好きで、事業部長が報告に行くのはペーパーに書いた文章でなく、開発途上の商品を持っていくのですね。
徹底して商品の開発をし、さらに良品を創る固い信念の人であった。
その良品を造るのは人ですから、松下幸之助さんは商品を造る前に人つくりをする会社だと公言してはばからなかった。
この情熱のすごさを感じていた人は京セラの稲盛和夫さんだ。
松下幸之助さんの講演があり、「ダム経営」について話されていたのを聞いていて、会場から質問があった。
「松下さん私ら中小企業の経営者は忙しいので、ダム経営する何かコツ教えてください」というものでした。
松下さんは即座に「ダム経営しようと思わんとあきませんわな!」と答えられた。
「そうだ、思わないと方法や手段考えられないな」と腑に落ちたのが稲盛さんだった。
27歳で勤めていた松風工業から独立して、まったく経営を知らない頃の話だ。
もともと理科系でセラミックの研究していた人だから、人間相手の経営は素人といった方がいい。だからこそ、経営の具体性はアメーバ経営、それに京セラフィロソフィー(哲学)まで考えこの両輪で経営する。
その哲学は素粒子論や量子真空というとこまで極め「無から有」を生む宇宙の心を自分の心(真我)と名付けている。その真我はプリミティブな道徳観、倫理観だ。
「騙すな」「嘘つくな」「正直であれ」「欲張るな」といった誠実な心であり、宇宙の心でもある。故に「利他心を動機で始めたことは思いもかけない成果をもたらす」と体験から断言するのである。利他心を持つ、与えることが成功をもたらすというのである。
「人生で起こってくるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたもの」
現実に起こってくる出来事に感謝し受け入れ、利他行を実行することだと言い切る。
それは幼いころの体験である。
兄が結核(当時は不治の病)にかかっていて、父と上の兄は看病していたが病気にはかからなかったが、自分は鼻をつまんで看病もせず歩いていたのに、自分が結核にかかってしまうという出来事があったことで気づいた。
「心がすべてを決めている」と感じざるを得なかったという体験だ。
自分だけは病気にならないようにという消極的意識からの行動したため免疫力が下がってしまい病を引き込んだと考えたのだ。
事業に私心が入らないように「何が正しいか」を自問自答し、親から教わったプリミティブな道徳観・倫理観の実行こそが利他行なのだ。
言い換えると良心(両親)に従うということだ。
松下幸之助さんも良品を創るには良心で行動する人間を育てることと考えていたに違いない。稲盛和夫さんは事業には哲学がいると、心の中身の奥の魂のその奥にある真我に行きついたのである。
皆さんは自分を良品な人間に育てていますか?
「良品を産み出すのが事業」という哲学
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