大阪石材社長ブログ

「性格を磨こう」

投稿日:

1970年代の高度経済成長の時代はモノの生産性をあげることは求められ、
特に理工家系の人材で科学的な頭脳の頭のいい人が求められた。
団塊の世代はだれでも大学に行くようになり、大会社目指して親は共働きで学費を出した。

敗戦国の日本やドイツは戦勝国のアメリカやイギリスに追いつけ追い越せで国民が一丸となって、経済の成長に猛烈に邁進し、日米同盟のおかげでGDPがアメリカに次いで世界二位にまで躍り出たのである。

現代はというと中国に抜かれ、次はインドに追いつかれることは間違いないと察する。
さて、私たちが学んだ学生時代は大学に入るための学びをしてきて、本来学んで意味を理解し、自分で行動し考えを練ってみる学びではなかったことは確かだ。

情報化社会になってSNSの進化によって情報の真偽のチェックがなされないままに情報は垂れ流の状態だ。
オレオレ詐欺に始まり、巧妙な詐欺や強盗がどんどん増えている。

AIは過去の知識をいっぱい貯めこみ、具体的な方法を見つけ出すが万能ではない。
未來に向かっての創造はできない。
人間は未来を創造し、実現させることができる。能力を磨くのはもちろんだが、
能力は体験を通じて自ら行動の中で磨いていく、その最初は知ることが大事だ。
知ったことを体験し身につけさらに創造を加えて断片的な情報をつなげることができる。
そして、新しいものや方法を産み出すことができるのである。

一方知ることには真偽を判断する能力もいる。SNSの発達により個人がfacebookやインスタグラムで好きな情報を流すことができる。
その情報をうのみにしないように能力は産まれ持った「性」言い換える素質だが、これだけでは真実が見抜けない。
「格」すなわち人格を磨く、すなわち人間力を身につけなければならない。「性」と「格」の両面を磨くことだ。

それには良き師を求め、良き友を持つコツだ。人間は人の間と書くのは社会を形成して生きているからだ。
孔子の儒教では「五常」と言って、「仁」「義」「礼」「智」に「信」をいうが、「信」は言行一致を意味する。
日本ではさらに三つ加えて八徳とし、「忠」忠実、忠誠、「孝」孝行、親先祖を敬う、「悌」目上や年長者に従順な心
「仁」は思いやりや慈しみの心「義」は正義や道理、「「礼」は礼節の心で秩序、自分を律する「智」は善悪を正しく判断するまた理解できる。

聖人君子になることが正しいという理想論でなく、自らを正しく想像して体験を積みながら人格を磨き人間力を付けたら、
結果自分を守る方法や解決策が身について人格が磨け、自然と人徳が身につくということだ。
2500年前の春秋戦国時代の武力による国盗り合戦のさなかに孔子は「徳治」を目指して考えたのであろう。

ロシアがウクライナへ侵略し、多くの人が犠牲になってるの現実の世界がある。
人間が人間になるには良心に従った行動を実行することが大事だが、
昨今のニュースでは、銀行の貸金庫から何十億の金塊をとり捕まった女性の行員がいる。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、学校や家庭で五常の教えを学んでいるかどうか疑問だ。
やっぱり、五常を学ぶ環境が必要だと感じるのは私だけだろうか?

平澤 興先生の言葉に
「希望を持って生きることができるのは人間だけである。 希望の内容が人間の格を創る」

白石康次郎(海洋冒険家)

「良心が曇ると正しい判断ができずに結果にも反映します。先哲の教えを学びな   がら少しでも心を磨き続けるそれが大事な準備の一つです」

皆さんは「性」と「格」どう磨かれていますか?

-生き方
-