大阪石材社長ブログ

「二つに一つは天の理」に思う

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天理教では、表と裏で一枚の紙、これは二つで一つということです。
自然界では天と地、空間においては上と下、時間においては過去と未来、
人間社会においては善と悪、人生においては生と死、そして生き物においては男と女、親と子、これらも二つ一つの関係で成り立っている。
我々はその事実を言葉にして記憶するときに二元的に相対化するように主観が働くのである。
しかし現実は一つの表と裏の紙なので、相補的に存在し助け合って現実化している。
物理的にミクロの世界で電子顕微鏡を見ると原子に行きつく、その奥の素粒子は動いている。
その動きは4つの動きをしていると人間的に洞察したのは釈迦なのですね。
その動きは「四諦説」と言って「苦しみが集まった、滅ぼすために行動しよう」苦集滅道という表現をした。
物理学的に言うと「苦」停滞(止まる)「集」収斂する(光)「滅」発散する(熱)「道」(動く)という、命の動きを見抜いたのですね。
科学は実験によって客観的法則を見つけるが、人間はどうしても分析すると相対化して主観的になる。
そこで、古来それを脱却するのに瞑想法を使って自らの主観を沈殿させる修行をしたのである。
全ての物と心には自断自開性があることを今の科学は見抜いているが、その解釈はできない。
本居宣長は人間の本質を「揺らぎ」と言っている。
まさに命が揺らいでいて、因縁の法則に従って変化自在に二つ一つに産まれることができる。
宇宙のことわりが人間をわかっていることはほんの少しのことだろう。
科学がもっと発展すれば物も心も素晴らしいパワーがあることに気づくだろう
皆さんは釈迦の見抜いた四諦説どう思われますか?

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