「人情」に思う

投稿日:2018年7月13日 更新日:

凡夫のわれわれは、無意識に「生を愛し、死を憎む」「福を愛し、禍を嫌う」
これが人情というもである。
この基本的な自己愛が本能である。
だから他人からは愛してほしいと求めるのが基本のスタンスだ。(受身な利己心)

何かことが変化すると無意識に生を愛し死を憎む判断をする。
仏教で教えてることは、この無意識の分別知の判断に振り回されるなというのである。

もし、この判断が当たり前と行動すると「喜怒哀楽」に振り回され感情的な人間になる。
うれしいことがあれば異常に有頂天になり、悲しい事があれば怒りと悲しみに鬱屈する。

何度となく、こんな自分を体験したら、一方を貪愛したり、一方を瞋憎するのでなく、
両方を受けいれ乗り越えていく事に着眼する。

ではどうすればできるのか?

「生きてよし、死してよし」100%現実絶対肯定するしかないんだ。
良寛は「裏を見せ表を見せて散るもみじ」と表現する。

100%現実を受けいれるとは、生死、善悪、損得という分別の相対性の意味づけが重要だ。
「ピンチはチャンス」
マイナスなことが起これば、額面上を素直にマイナスと受けいれたら、鬱屈する。
だから、自己成長と意味を転じて受けいれるテクニックがいる。
これを仏教では「転依」とか「転悟」というのである。

王陽明は人間は「喜怒哀楽を出でず」と言ってる。
道元流に言えば「身心脱落」して、天から事実を俯瞰する事で、
生死を超えた道を智慧出して行動することだ。

大事なのは生死を離れて傍観者として評論する虚無主義者にならない事だ。
あくまでも現実を生き抜くために意味を転じるのである。

キエルケゴールは中世の神による精神的な支配に背き、
実存主義を提案する。(神に背く実存主義)

彼は「人間の存在は矛盾」と言って人間の身体と精神の一体化したもの、
また、有限と無限、時間と永遠の総合であるべきものを「絶望」というのだ。

しかし、これに気付いたら二つの道があるというのだ。
一つは現実から逃げるという「弱さの絶望」である。
実存ではあるが精神がない。

真の実存は人間的に絶望して、絶望のなかで「希望の壁」を築いて生き抜く「強さの絶望」でなければならないというのである。

洋の東西を問わず、間は面白い。
喜怒哀楽を楽しめるような自分でありたい。

皆さんはいかが思われますか?

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