坂村真民との出会い

投稿日:2017年12月1日 更新日:

坂村真民さんとの出会いは、平成の4~5年頃だったと思う。

薬師寺の元執事長(現長老)安田瑛胤師の会で、
先生の「詩の講演」をしていただきたいということになった。
石材の同志の高岡社長が愛媛松山にいるので、面会を頼んだ。
私も坂村さんの詩をたくさん読んだわけでないので、
松山の本屋さんに行って買い求めた。
びっくりしたのは、本一冊ずつに心のこもったサインがなされていた事だ。

さて先生の「タンポポ魂」、自宅の書斎を訪ねた。
そこでその趣旨を話して、来ていただけないかと言った。

薬師寺は高田好胤さんの名前が通っていた有名な寺であることはご存知だった。
先生の返事は「NO」だった。

直接的な表現ではなかったが、
「私は有名な寺で話しだけきいて勉強するのも良いが見世物ではない」
といった厳しい言葉のニュアンスを感じた。

誤解のないように薬師寺からの任務でなく、会の仲間が先生の(朴の会)にはいってられ、
詩国を毎月読んでおられることを話した。

すると少し柔和な顔になられ、私に「念ずれば花開く」の色紙を下さった。

二度目の出会いは平成12年(2000年)大阪の茨木市のまだま村の、
「念ずれば花開くの碑」の除幕式にこられたときである。

立花之則さんは真民先生に私淑されていて、一万人のノミで彫られた碑を作り、
先生に来ていただかれ、
その裏方の準備一切を大阪石材のスタッフと、
奈良の魚谷さんのまほろば塾の人でやらしてもらったときだ。

先生の「念ずれば花ひらく 苦しいとき母がいつも口にしていた。
このことばを、わたしもいつのころからか となえるようになった
そしてそのたびに わたしの花が ふしぎとひとつひとつひらいていった」

この詩が一番残っているが、もうひとつ凡人のわたしの気に入りがある。

「西行と山頭火は 妻子を捨て 家を出た
芭蕉と放哉は 世を捨て 旅で死んだ
だがわたしは 妻子を捨てず 世も捨てず
一筋に詩を作り どこまで行けるかいってみよう
詩神よ 導きたまえ 守りたまえ」

あの鋭い眼光は未だに目に焼きついている。
生半可に詩をかかれていない厳しさを感じたのを今も肌感覚で覚えてる

皆さんは坂村真民さんの詩を読まれたことありますか?

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