投稿日:2017年11月30日 更新日:

どんな人も「仏」を持っていると教えられる。

「仏」=「本来の自己」
「本来の自己」=伯井守という名前がつく前の自己
「名前のつく前の自己」=命が動き出した名無しの権兵衛の自己
この命の動き=主人公
「随所に主なればいたるところ真なり」

今・ここ・自己が主人公だ。
この主人公は生きることが楽しくて仕方ない。

1.本能的な自己と他己の損得の価値、
2.感覚・感情の好き嫌いの価値、
3.理性的な整合性を分別する価値
を、超えたところの私心のない自己が主人公だ。

ところがこの三つの価値から現実を判断してる自己がいる。
これは主人公ではない。
主人公の価値は「良心」が基準になる。
自分の行動を命が喜び踊るようでなければ本物の自己ではない。

パーソン(個人)という英語の語源はラテン語のペルソナ(仮面)という意味だ。
人間は社会生活するとさまざまな仮面をかぶる。
会社にいると「課長」
家に返れば「父親」
妻の前では「夫」
どれが本来の自分なのかわからなくなる。
そんなときは「自問自答」してすべてのペルソナを外す。

これが「禅」だ。

「本来の自己」に気付く。
「孤独」は人を強くする。
しかし、「孤立」してはいけない。
孤立すれば自己を発見できない。
孤立がもたらすのは、「不安感」「寂寥感」「猜疑心」だ。

人はいつも誰かとつながっていたい。
これが人間の本能だ。

「方丈記」の鴨長明は晩年「方丈庵」でひとり暮らしていたが、
孤立していなかった。

時々、京都の街中にでて、市井の人と酒を酌み交わす孤立しない生き方だった。
独身世帯が3割いる現代、
身寄りのない年配者、独身の高齢者などは、
趣味や近所付き合いをしないと孤立して行き不安を呼び込み生きる望みを無くす。

「孤立」は人を弱くするのだ。
「孤立」しないで心の置き方を「孤独」を味わい自分と向き合うことだ。

皆さんは「孤独」を楽しんでますか、「孤立」してますか?

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