「応病与薬」とは答えは一つでない。

投稿日:2017年11月28日 更新日:

学ぶ事の意味は観自在菩薩になることである。
自由で自在に行動するとらわれない人間になることだ。
そのために先輩から教育を受ける。

教育の目的は三つある。
1.知性教育=知識能力をつける。
2.道徳教育=良心を育てる。
3.情操教育=美的で芸術性を磨く。

言い換えると「真、善、美」といえる。
善と悪があるなら、善を追求する生き方が尊い。
至善こそが美しい行動で、真実に叶うのである。

しかし、経済的な利害が絡むと勝ち負けを競うようになり、努力を惜しみ、憎しみ、怒りの感情、自分のものにしたいと貪欲の感情に支配されるのが人間だ。

そんな自分にこだわるという縁ができると、人間は悪人になるのである。
(逆から言うと善の縁を得れば、善人になる)

一方、視点を変えて外に競争相手も持って考えるのでなく、
自らの無知さという内に目を向けて、
自分を磨くチャンスと考えると自由で自在な自分を見出し、さらに人間として進化する。

さて、論理的な整合性があることが正しいと考えるのは理性中心主義者だ。
一方、感情という表現の自由さだけを正しいと考えるのは自己中の感情主義者だ。
本能肯定主義でも感覚・感情優先主義でも理性のつじつま主義者でもありません。

そのどれでもなく、その三者のすべてを有して、縁によって引きでるのが人間だ。
だから、今いる環境という縁に感謝して縁を生かすことができることが最高の喜びである。
その最も素晴しい人物が御釈迦さんだ。
「応病与薬」といい、対機説法で自在に直面した現実の課題を解決し諭しをする。

1.毎日必死に努力して寝ないで働く人を見たら、「休みなさい」といい。
2.怠けて行動しない人を見たら、あなたは良いものがあるが努力しないとその良いものはでてこないと諭す。

1+1=2ではない答えがでる。正解はないのである。

言い換えると「縁」によって物事が展開してると諭されてるのであり、
答えが一つではないのである。

理性にこだわる人は矛盾と捕らえ、感覚や感情にこだわる人は主観的であり、
本能にこだわる人は「嘘」も「盗み」も生きるため「必要悪」と肯定する。

基本の基準は「良心」に照らす事だ。
利他行か動機は善か私心はないかということになる。
愚かで、欲張りで、怠け者が人間の正体であることは自覚するからこそ、
観自在菩薩になることができる。
しかし、その状態を続けることはまたできないのも人間だ。

皆さんは正解のない人生に如何に正解を行じてますか?

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