この言葉は松下幸之助さんの言葉だ。
他人が嘘ついたり、裏切ったり、失敗したりしたときには、
どうしても腹が立ち、怒りの感情が湧くのが普通だ。
期待したから、信じていたからだというが、依頼していたともいえる。
社会活動の中では他人と協力して仕事をなしあげねばならない事が多い。
どうしても他人を信じて任せなければ大きな仕事や、
分業によって生産性をあげることが実現しない。
仕事を進める中で松下さんは何を言わんとしたか考えた。
1.信じなければ人間は心を開いて一緒に協力してやれない。
しかし、他人が嘘をついたり、盗んだり、失敗したときに、
他人を責めるのでなく、自分の依頼心を反省する意味で「信ぜず」ということ。
2.人間社会は人間を愛し信じなければ成り立たないので信じるのは感性的にだ。
しかし、追い詰められた環境の中にいて「心ならず」嘘つき、盗み、失敗したかもしれない。
理性的には他人を「信ぜず」ということ。
3.では何を信じるのかというと、
A.理性でなく感性で信じる。理性では「疑う」是々非々と付け相対的になる。
B.人間そのものを信じるのでなく、人間の良心の存在を信じる以外ない。
C.人間は100%完成された存在でなく、不完全な存在であることを信じる。
(現在は完成への段階プロセスだ)
言い換えると完成でなく絶対的でなく、理屈で信じるんではない。
そこまで深く考えて、信じて、信じて、信じぬける人間には奇跡が起こる。
真の愛とは理屈を超えた愛のことだ。
(私ができてるかは他人に判断してもらわないと自分では解りません)
不完全な人間だからできる時もあれば、できない時もある未熟者に違いないのが現実だ。
決して逃げ口上で言ってるのではない。
「敬天愛人」といったのは西郷隆盛だ。
自分のことは天が知ってくれている。
天を敬い、天の声を聞き従い、今生きてる人を愛するというのだ。
さすが江戸城無血開城された人物だ。
事業家として松下幸之助さんは「素直」の達人だ。
あるときどれだけ素直かという質問をされて、
「私は朝に今日一日素直でありますようにと祈り、
よる寝るときは今日一日素直だったか反省する」
これを毎日実行され、心を素直にして天の声を聞かれたそうだ。
皆さんは自分を素直にし人間の良心の存在信じますか?