江戸時代の武家には論語の為政第二に、
「吾十有五にして学を志し、三十にして立ち、
四十にして惑わず、五十にして天命を知り・・・・・・」とある。
私の中学時代の友人が十五才になったその日から、
食事が膳の上に乗って出され、
呼び名まで「様」付けでお母さんが言ってるのを聞いてびっくりした思い出がある。
岡山の下級武士の出らしかったが、
今から思うに元服(立志式)だったに違いない。
その友人が大人じみたことを言っていたのを今も鮮明に覚えてる。
「母を喜ばすために、わざとできないふりをする」
『大事なことは考えない事だ。休む事がより集中力が高まる』
当時の私は、お母さんに気を使って自分を素直に出さない「うそつき」だと思った。
休んでいたら他人との競争に勝てないと思い込んでいたのは私だが、
友人は自分の能力を最大に引き出す方法を考えていたらしい。
今考えると「心」が大人で「思いやり」の表現だし、自分にも厳しかったのだと察する。
成績はオール5であった。(5段階評価で)
橋下佐内はこの元服のときに五つの誓いを立てている。
1.稚心を去る
2.気を振るう(気配りする)
3.志を立つ
4.学に励む
5.交友を択ぶ
私の家庭では元服というものはない。
ただ教えられたことは「素直」に何でも100%母に話すことでした。
だから知らない事を恥と思ったことはない。
社会人になって叱られたことがある。
「君のように何でもかんでも解らないからと言って人に聴くのを『素直』というのでない。
一度自分で調べてから聞くのが礼儀であり、知らない事を恥じないのは恥ずかしい行為だ。」というのである。
よく考えると素直すぎるのは無意識に「他人」を傷つけてることがある。
言っていいことは相手を喜ばすこと、事実を言い嘘をつかないこと。
言わなくてもいいことは相手に不快な思いさせない事であり哀しませないこと。
当時は自分の不安や孤独感から逃れるために素直に自分のこと話していた気がする。
マズローの6段階欲求からすると3段階の仲間がほしい、
社会的に孤独が嫌いだという子供の欲求だ。
友人はお母さんを別人格と見て4段階の承認欲求、
社会人として自己が確立され他者から認められたい、
尊敬されたいという態度ができていたのだ。
さらに高次元になると、5段階は自己実現の欲求となるが、
これは自分の能力を引き出し創造的活動がしたいということだ。
言い換えると何事も楽しく創造し自分の長所が発揮されてる状態だ。
マズロー(1908から1970年)は晩年、6段階の欲求として「自己超越」といって、
「目的遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域、見返りを求めずエゴもなく、
自我を忘れて目的のみに没頭し使命に燃え社会貢献に燃える姿を描いた。
これこそ仏教的な『無我』『無私』の境地だ。
友人はこんな分析はしないが、
マズローのように階段を登るように大人の行動をしていたような気がする。
人間は『創造』と『選択』の中で生きてる。
言い換えると『新しいものを生み出す行為』と『現実を右か左か決断する行為』
無から有を生む創造行動と有を無にする決断行動のなかで、
一瞬一瞬呼吸のように全力で生きてる。
創造するときは無私で行動し、
選択するときは他者のため何を捨てるか決断する。
この中にその人のドラマが描かれてる。
人間は実に面白い、『人間万歳』
皆さんは自分を律する誓約を具体的にいくつか持っていますか?