「和気藹々と仲の良い環境ができる」と自分のいる場が楽しくなる。
考えようによっては自分のことができてからなら利他行すると、
順番に考える人がいるが、自分の欲望は際限ないから結局できないことになる。
だからと言って、全く逆をやる人がいてる。
よほどの達人か?
おっせっかいやきの人であろう。
さて、青春時代には恋愛もし失恋もする。
また、事業や職場の仕事に失敗もすることもある。
こんなとき思い通りに行かなくて苦しくて、
死んでしまいたいと思ったことは一度はあるのが普通だ。
あるとき、御釈迦さんが橋の上に思いつめて今にも死のうとする娘さんを見かけた。
話しを聞いてみると「恋愛して失恋し、子供を身ごもっている」ということであった。
御釈迦さんはたとえ話をされました。
「あるところに大きな荷車を朝から晩まで引かねばならない牛がいた。
その牛はつくづく思った。この荷車さえなければ苦しまなくても済む。
そうだこの荷車を壊そう。
牛は猛然と走り出し、岩に車を打ち付けて、壊してしまった。
ところが、飼い主は今度はもっと頑丈な鋼鉄製の車を用意して牛に引かせ、
以前の何千倍の苦しみようになった。
「どうですか、荷車を壊した牛は愚かだと思わないですか?」
御釈迦さんの尋ねに娘はコクリとうなずいた。
ブッダは「ちょうど、この牛が荷物さえ壊せば、楽になると思っていたように、
お前は、その肉体さえ壊せば、苦しまなくてもよいと思っているだろう。
お前は解らないだろうが、死ねば、
もっと大変な世界に飛び込まなければならぬのだよ」と、説かれたといわれています。
今の苦しみは肉体を壊しただけで逃れられるものではない。
自分の業(行動)が生み出すものだから、来世も続いていく事だと説かれた。
娘は自分がしようとしていたことがおろかであるとわかった。
仏教では現実に生きることを教えてる。
さらに、今の境遇にまず感謝して、一歩づつ智慧と利他行をしてよりよくすることを教える。
白隠禅師の坐禅和讃には、
「積みし無量の罪ほろぶ、悪趣いずくにありぬべき、浄土即ち遠からず」
人間も電気製品のように取扱説明書をつけて生んでくれればいいのに、
説明書はありません。
自分が体験から学んだり、先人の残した本などから学ぶ以外にないのですね。
2500年も前の御釈迦さんが諭されたことを今日も僧侶がそれを受け継ぎ伝承してるのである。
御釈迦さんが「一切皆苦」とおもいなさいというのは親心ですね。
苦を楽に転換する努力が人間の生きることのようですね。
皆さんは如何思いますか自利利他行の実践を?